「私の生涯は波瀾に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しい物語(メルヘン)である」。アンデルセンは、自伝『わが生涯の物語』(岩波文庫)を、こう書き出している。ちょうど200年前の1805年4月2日に、その生涯は始まった。

 「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「マッチ売りの少女」「絵のない絵本」。世界中の子どもだけではなく、大人になってしまった子どもの心にも生き続ける物語を数多く残した。

 貧しい少年時代に始まり、童話作家として広く世に認められるまで、確かに「波瀾に富んだ」道を歩んだ。しかし「幸福な一生」と「美しい物語」には、すぐにはうなずけない思いがある。

 アンデルセンの作品が持ち続けてきた大きな魅力の底の方には、深い孤独が感じられる。生家には複雑な人間関係があり、俳優への夢は挫折する。みにくいアヒルの子や、マッチを売る少女の際だった孤立感が、幼い頃の作者と重なって見える。

 彼は、繰り返し外国への旅に出た。帰る時に「デンマークを思うと、私を待ちかまえている悪意に身の毛もよだつ思いだった」と記す。異国での孤独感は旅の味わいを深め、故国での孤独は心の傷を深めたのだろうか。

 しかし、その深い孤独感は、たぐいまれな叙情の才と出会う。双方が絡み合ってつむぎだされたのが、読み捨てることのできない恐ろしさを備えた「美しい物語」ではなかったか。その幸運な出会いと営みとを「幸福な一生」と呼んだのかもしれない。人生に孤独の影が寄り添う限り、読まれ続けてゆくだろう。