Archive for 2月, 2005

 公園の一角に、梅の木が十数本植えられている。品種が様々なのか、開花の時期がまちまちだ。桜の方は、町中で見るかぎりは時をおかずに咲きそろう。それが本格的な春の到来と重なって華やかさを生み、同時に、その終わりを惜しむ思いを誘うのだが。

 もう十日近く前に花が開いた白梅の隣の1本は、まだつぼみが堅い。一方で、白と紅の2本が重なり合うように咲いている。少し離れてながめると、紅白の無数のあられをパッと宙に散らしたようだ。

 黒っぽいよじれた幹から下方に伸びている枝の先の花に近づく。いつもなら、そこまでは見ることのない花の中をのぞき込みながら「梅の雄蘂(おしべ)」という短編を思い起こす。

 「彼等は一本一本が白金の弓のやうに身を反つてゐた。小さい花粉の頭を雌蘂に向つて振り上げてゐた……彼は花をかざして青空を見た。雄蘂の弓が新月のやうに青空へ矢を放つた」(『川端康成全集』新潮社)。

 青い空の方を見上げると、高い小枝の先に鳥が1羽とまっていた。体はスズメぐらいで、花の中に小さなくちばしをしきりに突っ込んでいる。中では、身を弓のように反らした雄蘂が小刻みに震えているのだろう。鳥の体の一部は緑がかっているが、ウグイスではないようだ。

 改めて十数本の梅をながめやる。咲いているもの、つぼみのままのものが、寒さの残る中で、静かに、それぞれの時を刻んでいる。落ち着いた雰囲気が漂う。それは、咲きそろわずに、ゆったりとした継走のようにして花を付けてゆく姿から醸し出されているようだった。

 本名は、赤羽丑之助である。とはいっても、小説の主人公なのである。獅子文六は、東京?兜町を舞台に、「ギューちゃん」こと丑之助が活躍する『大番』を書いた。加東大介の主演で映画にもなった。

 株や相場での金言が出てくる。「もうは、まだなり。まだは、もうなり」。売り時、買い時の難しさのことだろう。こんなのもある。「人の行く裏に道あり花の山」

 生き馬の目を抜くとも言われてきた株の世界で、ニッポン放送株を巡って激しい攻防が続いている。時間外取引という策で株を手にしたライブドアに対し、ニッポン放送?フジテレビ側は、株を倍増させてライブドアを振り切ろうとする策に出た。新しい大量の株で相手の株を一気に薄める作戦のようだ。

 昨日の市場では、3社の株は共に下がった。「生き物」とも「化け物」ともいわれるこの世界だ。今後の展開は分からないが、メディアの行方にかかわることでもあり、気にかかる。

 米国の伝説的な相場師で、1929年の金融大恐慌を予言したともいうギャンは、取引に際して、旧約聖書の「伝道の書」の一節を念頭に置いていた。「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」(『W?D?ギャン著作集』日本経済新聞社)。

 インターネット対ラジオ?テレビという構図のせいか、今回の攻防は、これまでになかったもののように見える。しかし「花の山」を巡る争いと見るならば、何ひとつ新しいものはないのかも知れない。

 子育てに悩みのない親は、まずいないだろう。古今東西、この難問に絡んだ寓話(ぐうわ)や警句は多い。

 子は「親の鏡」、あるいは「親の背を見て育つ」ともいう。イソップには、真っすぐに歩くお手本を見せようとして、横歩きしてしまう親ガニの話がある。ゴーゴリは「自分のつらが曲がっているのに、鏡を責めてなんになる」と書いた。「子どもは眠っているときが一番美しい」と、キルケゴールは記している。

 皇太子さまの会見で引用されていたスウェーデンの教科書の中の詩「子ども」は、皮肉な警句のたぐいとは全く違ったものだった。子どもとの真摯(しんし)な向き合い方を、詩的な響きに乗せて、直截(ちょくせつ)に述べている。

 「笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる/しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる……友情を知る子どもは 親切をおぼえる/安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる」。皇太子家もまた、一組の親子として、子育てに真摯に向き合いたいとの思いが込められていると推測した。

 先日、女性天皇を認めるかどうかなどを検討する「皇室典範に関する有識者会議」が発足した。議論の必要はあるのだろう。将来の国の姿にもかかわるのだから慎重に考えを巡らせてもらいたいと思う。そして同時に、あのいたいけな幼子の姿が思い浮かんでくる。結論によっては、その人の将来が左右されうるという厳しさに粛然とする。

 この議論は重いが、ひとりの人生もまた、限りなく重い。

 おなじみのチョコレート菓子キットカットは1935年、英ヨークシャーの生まれである。第二次大戦中、チャーチル政権が「廉価で体によい」「ひとかじりで2時間行軍できる」と推奨し、国民的なおやつになった。

 サッチャー政権下の80年代、その発売元をスイス企業ネスレが力ずくで買収する。「英国の味を守れ」と反対するデモが起き、チョコ戦争と呼ばれた。肥満対策を掲げるブレア政権は、もうチョコを食べるよう国民に薦めたりはしない。

 そんなキットカットが今月、本場で久しぶりに話題を呼んでいる。英紙やBBCが相次いで「わが国伝統のチョコが日本で受験生のお守りとして大人気」と報じたからだ。「かつて日本の受験生は縁起をかついでカツ丼を食べたものだが、キットカットがそれに取って代わった」。若干、大げさではある。

 ネスレジャパンは、受験生に好評なのはだじゃれのおかげと言う。何年か前、九州の受験生が「キットカットできっと勝つとお」と言い始めた。ネットに乗ってたちまち全国区の流行になった。

 ここ一番の試験でお守りにすがるのは、日本の受験生だけではない。米国ではうさぎの足、インドでは象の顔をした神、トルコでは青い目玉の魔よけが有名だ。どれも土俗的な信仰や伝承を感じさせる。

 これらに比べると、日本で流行している受験のお守りは世俗的である。キットカットのほかに、カールを食べて試験に受かーる。キシリトールガムできっちり通る。伊予柑(いよかん)食べればいい予感。本番前の食べすぎにはくれぐれもご用心を。

 「それは生前われわれに最も身近なものであり、最も愛すべきものであった」。アメリカの地方紙に、「現金の死亡広告」が載ったのは、ざっと40年前である。

 クレジットカードの「ダイナースクラブ」を創設したひとりの出身地の新聞で、この「広告」には、こんなくだりもある。「数千年の昔、物々交換の申し子として生まれ、交易の養子となり成育した『現金』は本日……死亡した」(『日本ダイナースクラブ 30』)。

 実際には、現金は死ななかった。しかし、その後に世界に広まる「キャッシュレス」や「プラスチックマネー」の時代を予告していた。数年前、偽造したクレジットカードによる犯罪が急増したが、最近では、金融機関のキャッシュカードの不正使用が大きな社会問題になっている。

 先日、偽造カードで預貯金を引き出されるなどした被害者が、被害金などを返還するよう銀行などに集団で要求した。1千万円以上の退職金がゼロになったり、十数分で400万円が消えたりと、被害者は金銭の損害と心の痛手を同時に受けた。

 欧米では被害者の責任限度額を設けている国があるという。金融機関のみならず、人も金も国境を越えて行き来する時代だ。預貯金者の保護で内外格差があってはなるまい。

 「それは生前われわれの身近なものであった。いつでも、どこでも、いくらでもという便利さでスピード時代の申し子となった。しかし、その便利さが命取りになり本日……」。銀行や国の対応次第では、いつの日か、こんな「広告」が出ないとも限らない。

 「エダマメの次はオクラですね」とオクラブームを予言する。米テレビドラマに出てくるニューヨークのレストランでの会話である。オクラ料理をつくったシェフが「おいしいでしょう」と自慢する場面だ。

 欧米での枝豆人気はかなりのものだ。豆腐と同じように、健康志向にあった手軽なスナックとして普及してきた。オクラの方はどうか。まだ珍しい食材の域を出ないだろう。はたして枝豆に取って代わる日が来るものか。

 日本料理といえばすき焼き、天ぷらの時代があり、やがて豆腐やしょうゆのように素材への関心が高まった。そしてすしは予想をはるかに超えて広がった。スシ?バーが急増する英国では日本食の市場は90年代末から5年で2倍になったという。

 そんな流れの中で昨年、日本料理の英語本がロンドンで出版された。栗原はるみさんの『はるみのジャパニーズ?クッキング』である。グルマン世界料理本大賞のベスト料理本にも選ばれ、先日スウェーデンで授賞式があった。

 海外メディアもいろいろ取り上げた。「仏教で肉食が禁じられてきた日本だが、はるみは楽しく肉を使う」といった紋切り型の誤解はあるものの「深い伝統に根ざしながら、軽やかに現代風である」と賛辞も少なくない。もちろん「日本のカリスマ主婦」ふうの紹介もあった。

 かつお節がなければ日本料理は成立しない、といった力みがない。どこでも代用品は見つかるという考え方だ。日本料理の「神秘性?カリスマ性」をはぎとった「カリスマ主婦」という評が適切かもしれない。

 60年前の今ごろ、岡本喜八郎さんは21歳だった。4月、愛知?豊橋の陸軍予備士官学校でB29に爆撃される。地獄絵のような惨状の中で、仲間の青年たちが死ぬ。やがて米軍の上陸に水際で備える遊撃隊要員となり、対戦車肉迫攻撃の訓練に明け暮れた。

 終戦の日、放送を聞く。「唖然(あぜん)。ある日突然、戦争が始まり、ある日突然、戦争が終る。茫然(ぼうぜん)。……一体、何があって、戦争が終わったんだ」。後年、青年は映画監督?岡本喜八として、この一日を描いた「日本のいちばん長い日」を撮る。

 昨日、惜しくも亡くなった岡本さんの作品の幅は相当広かった。面白くて躍動的だが、その底には、体験に裏打ちされた戦争と国家への厳しい視線があった。政府や軍の動きを追った「いちばん長い日」にあきたらず、「肉弾」では、魚雷をくくりつけたドラム缶で敵艦を狙う青年に自分を重ねて描いた。

 「なかなか寝つけない晩に、きまって戦争の夢をみるんです」と語ったのは10年ほど前だ。自分が銃や手榴弾(しゅりゅうだん)を手に人を殺そうとしている。はっとして目覚める。ぶるぶるっと震え「ああ、殺さなくてよかった」と思う。

 還暦の時に書いた自伝は『鈍行列車キハ60』(佼成出版社)。「キハは……型式記号である。このキハのハは、ハチと読めない事もない」。特急や急行ではなく、鈍行という思いを、鶴見俊輔さんは「あの戦争でなくなった三百万人と一緒に動いている故に早くは走れないのだ」と評した。

 戦後が「還暦」を迎えた年に、岡本さんは「キハ81」となって旅立っていった。

 書店で赤ちゃんの名前事典をめくると、外国風の名前を特集した章がある。男の子なら「吐夢(トム)」、女の子では「花連(カレン)」などが挙がる。好ましく感じる親もいれば、感心しない人もいるだろう。


 愛知県の知多半島にある美浜町と南知多町ではいま、命名話に花が咲く。人の名ではない。合併後の市名を「南セントレア市」にするかどうか。両町は先月これを新市名として発表し、内外から猛反発を浴びた。ひとまず引っこめて、結論は今月末の住民アンケートに持ちこされた。

 セントレアという新奇な言葉に接して、まず浮かんだのは南太平洋ニューカレドニアの島々、でなければ花のカトレアの変種かと思った。セントラルとエアポートを足した造語で、知多沖にできた新空港の愛称だという。まだ全国には浸透していない。

 地元ではセントレアはなお有力候補である。南知多、美南(みなん)など漢字の11案と人気を競う。斎藤宏一?美浜町長はあくまでセントレアを推す。「豊田はトヨタになり、松下はパナソニックになって飛躍した。斬新な名前で世界にPRしなければ、これからは市町村も経営できない」

 カタカナ市名の先駆けは山梨県の南アルプス市だが、ここではさほどの反発は起きなかった。合併した6町村に、もともと同じアルプス山麓(さんろく)の自治体という意識があり、提案された市名がとっぴな印象を与えなかったらしい。

 明治安田生命の調査によると、去年生まれた赤ちゃんで最も多かった名は、男が「蓮(れん)」、女は「さくら」と「美咲(みさき)」である。上位にカタカナの名前は見あたらない。

 税務署の前を通ると、確定申告を促す看板が立っていた。そばのボードにはこうある。「この社会あなたの税がいきている」

 常にそうならいいが、税金のでたらめな使われ方が問題になることが絶えない。税金が絡むかどうかは分からないが、自民党内部の金の使い方に疑問を投げかけるような証言が、東京地裁であった。

 旧橋本派の元会計責任者が、盆暮れの時期に党から計1億2千万円を受け取っていたと述べた。そしてこの金について、党の事務局長が「収支報告書に記載しなくていい」と言ったとした。事実なのだろうか。

 自民党などには、元はといえば国民の税金である政党交付金が毎年渡っている。一番多いのが自民党で、ざっと150億円にもなる。金には色がついていないから、交付金の一部が派閥に渡り、記載されずに使われたとは、もちろん言えない。しかし、党の運用する「公金」の使い方に疑いがあってはなるまい。

 昨年の場合、自民党の助成申請の代表者は、当然ながら小泉総裁だった。会計責任者は幹事長で、その職務代行者が「記載しなくていい」と言ったとされた党事務局長だ。総裁には、この交付金が、常に厳正に使われてきたのかどうかを改めて調べて、納税者に説明する務めがあるのではないか。

 法廷では、旧橋本派のパーティー券の売り上げ1億数千万円を裏金にした、という証言もあった。この党が、巨額の税金をつぎ込むに足るのかどうか。それを判断するためにも、党総裁、元首相らは、国民に向かって「確定申告」をしてほしい。