公園の一角に、梅の木が十数本植えられている。品種が様々なのか、開花の時期がまちまちだ。桜の方は、町中で見るかぎりは時をおかずに咲きそろう。それが本格的な春の到来と重なって華やかさを生み、同時に、その終わりを惜しむ思いを誘うのだが。

 もう十日近く前に花が開いた白梅の隣の1本は、まだつぼみが堅い。一方で、白と紅の2本が重なり合うように咲いている。少し離れてながめると、紅白の無数のあられをパッと宙に散らしたようだ。

 黒っぽいよじれた幹から下方に伸びている枝の先の花に近づく。いつもなら、そこまでは見ることのない花の中をのぞき込みながら「梅の雄蘂(おしべ)」という短編を思い起こす。

 「彼等は一本一本が白金の弓のやうに身を反つてゐた。小さい花粉の頭を雌蘂に向つて振り上げてゐた……彼は花をかざして青空を見た。雄蘂の弓が新月のやうに青空へ矢を放つた」(『川端康成全集』新潮社)。

 青い空の方を見上げると、高い小枝の先に鳥が1羽とまっていた。体はスズメぐらいで、花の中に小さなくちばしをしきりに突っ込んでいる。中では、身を弓のように反らした雄蘂が小刻みに震えているのだろう。鳥の体の一部は緑がかっているが、ウグイスではないようだ。

 改めて十数本の梅をながめやる。咲いているもの、つぼみのままのものが、寒さの残る中で、静かに、それぞれの時を刻んでいる。落ち着いた雰囲気が漂う。それは、咲きそろわずに、ゆったりとした継走のようにして花を付けてゆく姿から醸し出されているようだった。