Archive for 一月, 2006

  闹钟没响就醒了,早了一个小时。看着横躺在床上的背囊,有些发愁:不想去,其实什么也不想做。可是最后的日子眼看逼近,再不行动起来,死亡的机会便会溜走。但我又想,正是因为自己想了这么多,感受了这么多,才造成今天的痛苦,“不要再想了,不要再想了”,我一面告诫着自己,一面爬下床来。


  正午刚过,我搭上一辆空座的电车到了新宿,然后在新宿转乘中央线往东京。我已经很久很久没有到过比新宿更远的地方了。中央线的车比刚才那辆电车拥挤,我站在门边,尽量只盯着窗外看,因为我依稀觉得车里的视线都集中在了我身上,他们嘴角挂着冷笑,仿佛在看一个傻瓜。而我,已经不再想攻击他们,不再想借攻击他人来平复自己内心的伤痕。当初那样只是因为自己太软弱,担心受到嘲笑,只是因为我惧怕那些人。又或者,他们真的在把我当傻瓜一样讥笑,但那一定是因为我太猥琐丑陋了。列车行驶在中央线上,我心里空荡荡的,什么也不想,什么也不去感受。


  到了东京,我走下电车,穿过人流,踏上扶梯,然后沿墙边走到新干线换乘口。要不然,混入滚滚人流中,我一定会犯恶心的。好容易到了换乘口,在自动卖票机给自己买了乘车票和特快票。


  在新干线上,我一直站在1、2号车厢的连接处。本来也想坐到坐席上,但一想到有人中途上车可能会坐到我旁边,就宁可这样站着。一个半将近两小时后,我又上了电车。地方线路果真乘客很少,不过,出于相同的理由,我还是选择了过道。车窗外,可以看见山里只有一层薄雪。此前唯一的担心就是恐怕积雪太厚,今日看来,穿双便鞋就足够了。气温也不算低。一个多小时后,总算到了预定的酒店所在的小城。这里是个地道的地方小城,车站古旧,四周建筑也显得脏乎乎的。

  天色已经开始暗下来,我赶紧拿出笔记开始找预定的酒店。酒店非常近,离车站不到一分钟路程,没费力就找到了。虽然比我电话预定的时间早到了1小时左右,但既然已经到了酒店办理入住的时间,应该没什么问题。带着一些紧张,我走到前台告知自己预定了房间,前台服务生二话不说就递上纸笔,让我填好姓名、地址、电话。


  接过钥匙走进房门最后按入反锁键那一刹那,整日的疲劳突然迸发,倒在床上很长一段时间什么都做不了。头象被针锥一样阵阵发疼。


  无论如何,总算到了酒店。明天就去确认那个地方。


  还有18天。



  再确认了一次明天要带的物品。


  我从包里把东西一件件取出来看一遍,又仔细对照了笔记与时刻表上的新干线、电车始到站时间。上新干线时恰好错过高峰期,之后还要转乘电车,不过那是地方线路,应该不会很拥挤。我还把那本介绍酒店的小册子带上了,以防万一酒店方面出些什么差错,譬如取消我的预约之类。不知道酒店有没有上网设备,笔记本就不带了。最后特意检查了钱包,除了来往交通费和2天住宿费,我还从提款机上多取了3万元。其中1万单独放,以防钱包丢失。要穿的衣服已放在床上;闹钟也已调好;一切准备就绪。


  尽管心情非常低落,但这毕竟是去考察自己死的地点,除此之外,别无他法。否则究我本心,是绝不想去任何地方,做任何事情的。一朝死去,万事皆休。无有苦痛,无有悲伤,也再无所谓孤独。明天要做的,是我安静赴死的仪式。


  还有19天。

  背囊里放着上吊用的绳子。


  上吊,可谓是自杀最最切实有效的手段。其实,我第一次把手腕放在剪刀口上时也有过同感。想到自己“这就可以死了”,全身心地轻松。当然,那也已经失败好几次了。


  我觉得这次一定能死成。我都能看见自己成功的画面。


  踩点,就是要使这画面更清晰。


  还有20天。


  用昨天买的绳子做了个绳圈,然后套上脖子试了一下。


  一手拿绳,另一手向上拉,圈儿就做成了。绳索在耳旁嘶嘶摩擦,脖子被实实绞住。那时,气管被勒住开始无法呼吸。如此过了一会,我才动手松开绳子。


  要是来真的,应该就那样勒着直到失去意识吧。虽然可能会有些痛苦,但大概不会有一丝疼痛。或者就算有痛,死掉了也就什么都不知道了。


  我把没解的绳圈直接放进了背囊。


  还有21天。


 「申し訳ございません。拒絶させてもらいます」。耐震強度の偽装事件をめぐる国会の証人喚問で、小嶋進?ヒューザー社長の回答拒否は、30回近くに及んだ。

 テレビの中継を見て、歯がゆい思いをした人も多かっただろう。しかし法律では、正当な理由があれば証言を拒否できると定められている。自己に不利益な供述を強要されないという憲法の規定もある。

 拒否が連発された喚問には、ほとんど意味が無かったかといえば、そうではない。小嶋社長が回答を拒んだのは、こんな項目についてだった。「構造計算書の偽造を、いつ、どこで知ったか」「ヒューザーで急きょ開かれた会議の内容」「販売中のマンションが問題物件だと、いつ認識したのか」

 いずれも、事件の核心部分にあたる。回答を拒むのは認められた権利の行使だが、証人にとっては不利な事態を招く一面もある。肝心なところで明確に否定しないことで、暗に認めたとも取られかねないからだ。世間が、やはり後ろ暗いところがあるのかといった見方に傾くとしても、口を開くよりはいいと考えたのだろうか。「黙して語らず」というが、黙してもなお語るところがあったように思う。

 フランスの政治思想家で法学者だったモンテスキューが述べている。「自由とは法律の許すすべてをなす権利である」(『法の精神』岩波文庫)。

 国会で黙された部分の実相が、「法律の許すすべて」の範囲を踏み外していなかったかどうか。その究明はこれからだが、沈黙は、問題のありかを繰り返し指し示していた。

 六本木ヒルズは、東京の都心の坂の上にある。中心の森タワーは54階建てで、高さが238メートルある。肩をいからせた巨大な甲冑(かっちゅう)のような姿は、遠くからでも目に飛び込んでくる。その38階にあるライブドアを、東京地検が家宅捜索した。

 強制捜査を受けたからといって、必ずしも罪を犯したと決まったわけではない。しかし、世間の注目を集め続けてきた企業に対する今回の捜索の陣容には、検察の意気込みの強さがうかがえる。

 容疑の一つとして「風説の流布」があげられた。相場を変動させたり、売買で利益を得たりする目的で意図的な情報を流すことは、証券取引法で禁じられている。ライブドアの関連会社が、企業の買収に絡んで偽りの事実を公表した疑いがあるという。

 堀江貴文社長は、ヒルズの38階に入居した理由について、東京タワーを見下ろせる唯一の場所だからと自著に書いている。「この絶景を毎日見られることを想像してみてほしい。地上をこの手で握りしめたような気になる。そして、ふつふつと熱いものがこみ上げてくる。『絶対に天下を取るぞ』と」(『プロ野球買います!』あ?うん)。

 インターネットの関連企業の成長はめざましく、ライブドアは、その中心にいた。劇的に膨張してゆく過程で、利益の追求と資金集めに走るあまり、法を無視するようなことがあったのだろうか。

 家宅捜索は、夜を徹して行われた。それは、四方八方からの多くの目にもさらされていた。「天下取りの塔」で、何が起きていたのか。捜査の行方を見守りたい。

 1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。

 当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。

 「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。

 昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。

 重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」

 今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。

 朝晩めっきり冷え込む季節は体調を崩しやすい。ちょっと風邪気味かなと思った先日、ホームセンターの家庭用品売り場で、子ども時代に使っていた湯たんぽと再会した。

 カメの甲羅のようなブリキ製のあれである。昭和30年代には、今のような軽くて暖かい寝具は出回っていなかったから、湯たんぽは欠かせなかった。ただし栓が小さいので熱湯を入れるのは難しい。毎晩母に入れてもらっていた。ネルの袋も母の手作りだった。

 作家の故向田邦子さんも回想している。「湯タンポは翌朝までホカホカとあたたかかった。自分の湯タンポを持って洗面所にゆき、祖母に栓をあけてもらい、なまぬるいそのお湯で顔を洗うのである」(『父の詫(わ)び状(じょう)』)。湯たんぽの周りでは、時間がゆっくり流れていた。

 もともとは中国伝来である。清代の小説『紅楼夢』にも登場するという。日本でも元禄期には使われていたらしい。かつては陶製だったが、昭和初期から金属製が普及した。高度成長期に広まったガスや電気の暖房器具に追われて、ほとんど姿を消していたものの、今また注目されている。

 店頭には、ゴム製やプラスチック製も並ぶ。湯たんぽは空気を乾燥させないので、肌にやさしい。電気の消し忘れもない。こうした様々な効用が見直されている理由だろう。

 湯たんぽという名前も、とても温かそうだ。「たんぽ」とは、器をたたいたときの音から来たという説と、中国語で湯たんぽを意味する「湯婆」の唐音が語源だが、それが忘れられて、「湯(ゆ)」が付け加えられたという説がある。

 苦手な英語を長時間聞き続けていると、きまって集中力がとぎれる瞬間が訪れる。慌てて耳を引っ張ったり指で掃除したりするが、もう遅い。話の筋に追いつくのは至難のわざである。

 外国語学習者が例外なく体験することのようだ。感覚としては車の燃料切れに近い。在米中に同じ思いをした作家村上春樹さんは、その自覚症状を「ウルトラマンの電池切れ」と描写している(『やがて哀しき外国語』講談社)。

 今年から大学入試センター試験に英語の聞き取りが登場する。長年の読解偏重批判にこたえた措置だ。50万人もの受験生が、一斉に同じ再生装置を耳につけ、30分間聴覚をとぎすます。ためしに市販の模擬テストCDを聞いてみたが、会話はかなり早口で、思ったより手ごわい印象だ。

 試験中に騒音でもしたら受験生は集中できない。いくつかの大学に尋ねると、「試験日は音量を控えて」と近隣にお願いしたそうだ。たとえば普天間飛行場に近い琉球大学は、ヘリコプターや軍用機が試験日に会場上空を飛ばないよう、防衛施設局を通じて米軍に申し入れた。

 首都大学東京は、キャンパス周辺の大型商業施設や映画館に音響を抑えるよう要請した。どこも快諾してくれて、当日はジャズ演奏や大道芸が中止になるそうだ。

 本番中に問題を聞き直すことはできない。勝負は一度きりだ。思わぬ騒音で気が散り、「電池切れ」を起こす受験生がいないとも限らない。せっかくの勉強の日々が悔し涙で終わらぬよう、今度の土曜の夕方、会場近くの方々はどうかくれぐれもお静かに。

 東洋大が募集し、約5万8千首が寄せられた「現代学生百人一首」の入選作を読む。三十一文字をつづりながら、自分や周りや世界を見つめている姿が目の前に浮かんでくる。

 〈私って何なのかしらと問う鳥に貴方は貴方と言い放つ空〉中2?甲斐菜摘。〈未来というワケのわからぬ存在を私の形に切り抜いていく〉高3?武井怜。〈喜?哀?楽仮面の上に描くたび己の顔をうしなう道化師(ピエロ)〉中3?増田菜穂子。

 学びの中の一瞬をうたう。〈図書館の窓よりトンボ迷い込み草野心平に留まり、また飛ぶ〉高3?佐々木勇翔(ゆうと)。〈暴れだす牛の鼻環(はなかん)必死でつかむ感覚頼りの胃汁の採取〉高3?福島麻衣。

 家族へのまなざしがある。〈花型のにんじん入りの弁当が昨夜の喧嘩を反省させる〉高1?代島千沙都。〈病室で流した涙の理由はね痛みじゃなくて母のぬくもり〉高2?高橋麻未。戦後60年がたった。〈祖母が言う戦地に向かう祖父の背を涙こらえて送った日のこと〉高2?富樫拓也。選外佳作からも一首。〈悲劇の日、忘れられない60年止まったままの11時2分〉高2?女子。

 人と人のさまざまなつながりがある。〈こんなにも明るく晴れた天気でもみんなケータイうつむきかげん〉高1?山崎純平。〈なずなですあつかいにくい子なのですけれどわたしはあいしてるのです〉中2?福山なずな。

 若い感性に力強さが宿る。〈刈られても刈られた分だけまたのびる芝のあおさに力みなぎる〉中2?鈴木奏慧(かなえ)。〈人生のブランコたまにはバックする大きく前へこぎ出すために〉高1?田中結。