Archive for 九月, 2005

 一瞬を切りとった写真が、時代を語ることがある。60年前のきょう、9月29日の新聞各紙を飾った1枚がそうだ。

 両手を腰に当てた軍服姿の180センチと、モーニングを着て直立する約165センチ。朝日新聞の見出しは「天皇陛下、マツクアーサー元帥御訪問」だ。勝者の余裕と敗者の緊張が並ぶ構図は、人々に日本の敗戦を実感させた。

 撮られたのは掲載の2日前。昭和天皇が米大使館に元帥を訪ねた初会談の時だ。外務省の公式記録には「写真三葉ヲ謹写ス」とある。「元帥ハ極メテ自由ナル態度」で、天皇に「パチパチ撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」と説明した。

 未発表の2枚はいま、米国バージニア州のマッカーサー記念館にある。1枚は元帥が目を閉じている。別の1枚は天皇が口元をほころばせ、足も開いている。どちらも、発表されたものに比べて、天皇が自然体に構えている。そのぶん「敗者らしさ」が薄まって見える。

 あの写真は勝者を際立たせただけでなく、時代の歯車も回した。載せた新聞を、内閣情報局が発売禁止にすると、これに怒った連合国軍総司令部(GHQ)が「日本政府の新聞検閲の権限はすでにない」と処分の解除を命じた。同時に、戦時中の新聞や言論に対する制限の撤廃も即決したのだ。

 翌30日の新聞で、それを知った作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」。こんな、はじける喜びの浮き浮きした感じにこそ、あの写真が語り継ぐ時代の重さの実感がこもっている。

 最近の言葉から。小泉自民党が圧勝した総選挙。故三木武夫元首相の妻睦子さんは、二大政党の流れとあわせて護憲の埋没を憂える。「平和への思いを継いでくれている人がほとんどいない」

 万博の次は夏季五輪。東京都知事は「閉塞(へいそく)感を打破するためにも、日本の首都である東京に」。福岡市長は「ヒューマンスケール(身の丈にあった)の五輪をめざす」。札幌も動いているが、いま、なぜ必要かの議論が欠かせない。

 1万3千円をだまし取った30代の男性が、横浜で逮捕された。家庭に恵まれず、職も失っていた。更生できると弁護士らが奔走し、就職先を見つけて執行猶予を得た。男性は言った。「もう、まともには生きていけないと思っていた。得たものの方が大きかった」

 不登校を経て仕事に就いた人たちが『学校に行かなかった私たちのハローワーク』(東京シューレ出版)に思いをつづった。「子どもは時期を待つと、自分のペースで、きちんと一つひとつ階段をのぼっている。あぁ、私はこの感覚を知っている、と思った」(保育士26歳)。

 岐阜県の旧加子母(かしも)村の住民グループが毎月情報紙を出している。合併で村の広報が廃刊になり、行政の印刷機を借りて1千世帯に無料で配る。編集長の秦雅文さんは「『読んだよ』という声を掛けられるのが一番うれしい」

 78年間連れ添う鹿児島県肝付町の池袋幾久治さん、知恵さん夫妻がそろって白寿を迎えた。「悪いところは助け合い、良いところを尊敬し合う。そして笑顔を絶やさないことが大切」と知恵さんは言う。

 「口をのぞけば家庭がみえる」。小児歯科にかかわる人の間で、そんなことが言われている。治療をしないまま、たくさんの虫歯が長く放置されている。口の中が不潔で歯垢(しこう)がべったり張りついている。こんな時、保護者に子育ての様子をたずねてみることも提唱されている。

 3年前、暴力や育児放棄などから保護された子どもを東京都と都歯科医師会が調べたところ、虫歯や未治療の歯が目立った。「歯科の現場で児童虐待のサインを見つけられるかもしれない」と、各地の歯科医師会では、異変を発見したら連絡するよう会員に呼びかけるところも出始めた。

 「でも、もう一押しが足りません」と千葉県歯科医師会長の岸田隆さんは言う。昨年から注意を促しているが、報告はまだ一件もない。

 「そもそも、進んで治療に来る子の家庭に問題がある可能性は低い」と岸田さんはみる。発見の一つの鍵は乳幼児に一斉に行う歯科検診だが、十数%は会場に来ない。色々な事情が考えられるが「やはり、その十数%に問題が潜んでいるのではないか」

 未受診の子を訪ね歩き、歯を診て、保護者とも言葉を交わしてみてはどうか、と岸田さんは提案する。子どもたちを救う大きな手だてになるのではないかと、目下、県に予算を組んでくれるよう求めているところだ。

 昨年度の児童相談所への虐待相談は全国で約3万3千件。十数年で30倍に増えた。心を凍らせた子どもは、まだたくさんいる。「無関心ではいられない」。岸田さんの言葉は、大人一人ひとりに投げかけられている。

 戦前の逓信相小泉又次郎氏の肉声を聴く機会が先日あった。小泉首相のおじいさんである。札幌市の元公務員森山正男さん(65)が先月末入手した古いレコード盤に演説が収められていた。電話口でそれを聴かせていただいた。

 「予算成立後の会期最終日に突如議会を解散するとは武士にあるまじき行為。予算食い逃げ内閣である」。昭和12年の春、林銑十郎内閣の唐突な解散を糾弾した。朗々とした声、文語調の言い回し、殺し文句の使い方も巧みだ。その5年後に生まれる孫が後年首相を務め、解散を強行することになるとは知るよしもない。

 又次郎氏は「入れ墨大臣」と呼ばれた。神奈川県の漁村にとび職の次男として生まれた。背中に竜の図を彫り、港で気の荒い労働者を束ねた。教員や県議をへて衆院当選12回、城山三郎氏の『男子の本懐』(新潮社)にも庶民派大臣として登場する。

 戦前の政界名鑑を開くと、普通選挙運動の闘将として「血を吐くような熱弁」をふるったとか、警官の制止をはねのけて「活火山のごとく」演説したとある。扇動型の弁舌だったらしい。

 それに比べると、昨日の小泉首相の所信表明演説には華がなかった。米百俵の逸話を紹介し、墨子やダーウィンを引いた従来の演説と比較しても、平板で高揚感がない。捨て身の衆院選で大勝し、この先何を志すのか聞いてみたかった。

 外見こそ父親似だが、首相の直観や話術は祖父譲りと言われる。ケンカもたんかも上手な「入れ墨又さん」の遺伝子が再び暴れる日が、残り1年の在任中にあるのだろうか。

 8年ほど前、ある運送会社で社員に髪を黒く染め直させようとしてもめたことがあった。髪を黄色く染めた若手を、上司が「取引先に印象が悪い」と説得した。社員は「好みの問題」と譲らず、3週間やり取りした末に解雇される。

 社員が訴え、争いは裁判の場に持ち込まれた。「染髪で社内秩序が乱されたというのは大げさ。解雇権の乱用だ」と会社側が敗れている(「労働判例」732号)。

 今日が千秋楽の大相撲秋場所でも、関取の髪を黒く染めさせるかどうかが話題になった。バルト海に面した東欧の小国エストニア出身の把瑠都(バルト)である。生まれつきの金髪だが、入門からわずか8場所で関取に昇進し、その鮮やかな髪に改めて角界の目が集まった。

 関取になれば大銀杏(おおいちょう)を結うのが決まりだが、これまで金髪の大銀杏など見たことがない。今場所をわかせた琴欧州は、 ブルガリアの生まれだが、髪は黒に近い。朝青龍らモンゴル勢や、曙らハワイ出身者にも金髪の関取はいなかった。

 「大銀杏は目立つからやはり黒く染めた方が」という声が一部で伝えられた。だが日本相撲協会では「自然な色のままでよい」という意見が優勢のようだ。「生まれつきの髪がいい」と本人にも染める考えはないらしい。

 番付にはロシア、チェコ、ブラジルと外国勢が並ぶ。多くは10代で来日し、日本語を覚え、伝統的な日本文化になじもうと努力してきた。昇進すると髪の色まで変えられるのではやはり気の毒だろう。そういえば、秋を彩るイチョウの大葉はもともと輝くような黄金色である。

 まさか。そう思って、2度、3度と検算してみた。やはり正しい。うーむ。考え込んでしまう。先日あった総選挙での300小選挙区の票数のことである。

 自民、公明両党の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票だった。一方の民主、共産、社民、複数の新党や無所属を全部合わせると3450万票を超えている。なんと、100万票も与党より多いではないか。

 小泉首相は断言していた。「郵政民営化の是非を問う選挙だ」。そして、法案に反対した自民党議員の選挙区に「刺客」を送った。「民営化反対だけの候補者になったら有権者も困る。賛成の自民、公明どちらかの候補者を出さないと選択できない」という理屈だった。

 まるで、小選挙区で民営化への白黒をつける国民投票を仕掛けたように見えた。ならば、この票数では民営化は否決されたことにな りはしないか。反論はあろう。無所属の中には民営化賛成もいたとか、比例区の得票数なら与党の方が多いとか。

 でも与党の議席占有率ほど、民営化の民意が強くないのは確かだ。小選挙区制は死票が多いぶん、民意のわずかな違いが大きな議席の差を生み、政治を一気に動かしていく。12年前、カナダで約150あった与党の議席が2に激減した例もある。

 とはいえ、民意を一方向に束ねたような今回の結果には改めて驚いた。きょう、小泉首相は所信表明演説で郵政民営化を熱く語るはずだ。そのとき、小選挙区への投票者の過半数が、必ずしも民営化に賛成ではなかったという事実は、頭の片隅にあるのだろうか。

 黒っぽい墓石の上に、一枚の桜の葉が載っている。もうしっかりと黄色に染まって、気の早い桜だ。線香の煙が漂ってくる。秋の彼岸の中日に、東京都港区の都青山霊園に足を向けた。

 大久保利通、乃木希典、犬養毅、志賀直哉……。広い敷地には、日本の近、現代史に登場する人物の墓が点在している。

 そこここに、小さな白い看板の立つ墓がある。「10月までに使用者が申し出なければ、無縁仏として改葬します」。霊園の再生計画を進める都が、墓の権利関係を整理するために立てたという。看板は、著名人の墓の前ではあまり見受けないが、万を超す区画の中には、長く使用者との連絡がつかない墓もあるようだ。

 小さな看板が林立する一角があった。外国人墓地だ。明治の文明開化のころから日本に西洋文明を伝え、故国に戻ることなく日本の土となった人たちが多く眠っている。

 紙幣の印刷を指導したイタリア人キヨッソーネの墓のように、手入れが行き届いているものもあるが、白い看板が立てられた墓が並んでいる。しかし都では、外国人墓地は歴史的な価値が高いので、原則として現状のまま残すという。この外国人墓地からほど近い区画に眠る斎藤茂吉の歌集「ともしび」に、こんな一首があった。〈ならび立つ墓石(はかいし)のひまにマリガレツといふ少女(をとめ)の墓も心ひきたり〉。

 そう大きくはない簡素な茂吉の墓には「茂吉之墓」とのみ刻まれている。供えられた花は、まだ新しい。白菊とリンドウの間から白ユリが首を伸ばし、秋分の空に向かって開きかけていた。

 3年ほど前までは、家屋と駐車場が入り交じった一角だった。去年あたりから、家が一つまた一つと取り壊され、今では駐車場だらけの大きな広場に姿を変えた。東京の都心部の、ある住宅街の変容だ。

 その様子から、何かが忍び寄って来る気配は感じていた。先日、東京の地価が軒並み上がっていると知り、あのバブル期の狂騒が再来するのではないかと不安を覚えた。

 東京証券取引所では、バブルのころよりもはるかに大きな商いが続いている。株価も上がってきた。インターネットを通じた個人投資家の短期売買の繰り返しが出来高を押し上げているとはいえ、巨額のオイルマネーが流れ込んでいるとの見方もあるという。

 バブル期と今とでは、時代の様相は随分違う。銀行が土地買収の資金を大量にばらまき、不動産業界も市民も踊ったあの異様さの再来は考えにくいかもしれない。しかし、歴史は繰り返すともいう。

 石原慎太郎?東京都知事が、2016年のオリンピックを再び東京に招致する活動を始めると表明した。64年の五輪では、都心の川を埋めて道を造り、道の上にまた道を走らせ、東京を車優先の街に変えてしまった。いわば車とビルのバブルで街並みを壊し、地上の人の視野を奪った。今はむしろ、五輪よりも前の街の姿を取り戻す試みの方が必要なのではないだろうか。

 東京には、五輪で得たものと失ったものが数多くある。いったん失ってしまえば回復するのは難しい。その功罪を見極めず、やみくもに誘致に走るとすれば、バブルの再来をあおりかねない。

 特別国会が始まる前夜、森前首相が自党の新人議員の一部を皮肉った。「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎が立派でよかったとか、こんな愚かな国会議員がいっぱいいる」。批判は自由だ。しかし、その議員を候補に選んだのはどの党かと問いたくもなる。

 昨日、小泉首相が生みの親とも言える「小泉チルドレン議員」が続々初登院した。失礼ながら、国会が小泉?テーマパークになったかと錯覚しかけた。

 国会は一段と小泉色に染まりそうだ。こんな時こそ、しっかりとしたご意見番が欲しいが、なかなか見あたらない。かつて、そうした貴重な存在だった後藤田正晴?元副総理が、91歳で死去した。官僚として旧内務省に勤め、戦時中は台湾に出征した。戦後は警察庁に身を置き、その後は自民党政権の中枢に居た。庶民には経験しえない道を歩いた人だが、独 特の人情味と大局観があった。

 7歳で父を、10歳で母を失った。なぜ自分だけ両親がないのかとの思いを持ち続けながら、負けず嫌いの頑張り屋になったという。

 96年に衆院議員を引退したころ、日本の政治でいちばん大切に思っていることは、と問われて答えた。「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。なんでそういう愚かなことを考えるのかね」(蛭田有一写真集『後藤田正晴』朝日ソノラマ)。

 若き日の戦争の実体験で身にしみた、痛切な戒めなのだろう。その言葉は、議員の大半が戦争を知らない世代となった国会への、遺言のように聞こえる。