黒っぽい墓石の上に、一枚の桜の葉が載っている。もうしっかりと黄色に染まって、気の早い桜だ。線香の煙が漂ってくる。秋の彼岸の中日に、東京都港区の都青山霊園に足を向けた。

 大久保利通、乃木希典、犬養毅、志賀直哉……。広い敷地には、日本の近、現代史に登場する人物の墓が点在している。

 そこここに、小さな白い看板の立つ墓がある。「10月までに使用者が申し出なければ、無縁仏として改葬します」。霊園の再生計画を進める都が、墓の権利関係を整理するために立てたという。看板は、著名人の墓の前ではあまり見受けないが、万を超す区画の中には、長く使用者との連絡がつかない墓もあるようだ。

 小さな看板が林立する一角があった。外国人墓地だ。明治の文明開化のころから日本に西洋文明を伝え、故国に戻ることなく日本の土となった人たちが多く眠っている。

 紙幣の印刷を指導したイタリア人キヨッソーネの墓のように、手入れが行き届いているものもあるが、白い看板が立てられた墓が並んでいる。しかし都では、外国人墓地は歴史的な価値が高いので、原則として現状のまま残すという。この外国人墓地からほど近い区画に眠る斎藤茂吉の歌集「ともしび」に、こんな一首があった。〈ならび立つ墓石(はかいし)のひまにマリガレツといふ少女(をとめ)の墓も心ひきたり〉。

 そう大きくはない簡素な茂吉の墓には「茂吉之墓」とのみ刻まれている。供えられた花は、まだ新しい。白菊とリンドウの間から白ユリが首を伸ばし、秋分の空に向かって開きかけていた。