Archive for 二月, 2004

木雕隔扇门



木雕檐饰



18 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや


【日本語訳】なつかしい大和の国の三輪山をそのように隠すのか。せめて雲にだけでも思いやりがあってほしい。振り返り振り返り見たい山なのに、そのように雲が隠してよいものか。


  那让我依恋的大和国三轮山就这样远去了吗?我多么希望天上的云能体谅我。难道我这样地频频回首,你都依然要阻隔在我们之间吗?


【注釈】此歌是额田王于近江迁都之时所做长歌的反歌。额田王当时大概正随尚是皇太子的中大兄皇子从飞鸟经山城迁往近江。对她而言,是要告别曾朝夕相见的三轮山。


  并且,三轮山并不是一座普通的山。其主峰是大神神社的神体所在。三轮大物主神是蛇身,不仅受到广泛崇拜,还时常显灵,人们对其相当敬畏。于是,迁都之时,必须酬谢三轮山等大和诸神。歌前的长歌咏唱了离开大和之时,每逢山回路转,总要回首相顾,与三轮山难分难舍的情形。据说这在当时是告别国境时的礼仪。而额田王此举也被研究者们看作是在代中大兄皇子向大和诸神祈求宽恕。


  另外,也有学者认为额田王是借此歌表达了弃大海人皇子而从中大兄皇子时心中的种种烦愁。


【汉语翻译】三轮山,岂可如此被遮掩;云但能原谅,怎能再遮掩。


注:日语部分摘自日本角川书店《万叶集》


16 冬こもり   


  春さり来(く)れば


  鳴かずありし


  鳥も来鳴(きな)きぬ


  咲かずありし


  花も咲けれど


  山を茂(し)み


  入りても取らず


  草深み


  取(と)りても見ず


  秋山の


  木の葉を見てば


  黄葉(もみち)をば


  取りてぞ偲(しの)ふ


  青(あを)きをば


  置きてぞ嘆く


  そこし恨(うら)めし


  秋山我(わ)れは


13


香具山(かぐやま)は 


畝傍(うねび)ををしと    /をし:愛し


耳成(みみなし)と 


相争(あいあらそ)ひき    /相争ひ:連用;:係助詞。列挙、類推、強意。


神代(かむよ)より 


かくにあるらし        /斯く:このように;らし:助動詞、已然形。推定。


古(いにしへ)も 


しかにあれこそ        /しか:副。そのように;こそ:助動詞。最も強い強示。


うつせみも          /うつせみ:①現実の身;②この世。


妻を 


争(あらそ)ふらしき      /らしき:連体


<反歌>


14

生命之所以卑微,是因为谁也无力把握。


我之所以卑微,是因为我无力去争取。


我的生命属于我,


无论灿烂黯淡,只有我去完成。


生命中的我没人看得见,


无论存在与否,一切都不会改变。


那么为什么,为什么要要求我……


只要我完成了属于我的生命,


只要生命证实了我的存在,


难道我还有什么必须要做的?


我的BLOG是我的笔记本,我的收藏夹,我的日记本,我的文件夹……


我的愿望只是,在这里找到我自己留下的东西。


如果再有你们的痕迹,自然锦上添花。


欢迎讨论!



籠(こ)もよ


み籠(こ)持ち


掘串(ふくし)もよ


み掘串(ふくし)持ち


この岡に


菜(な)摘(つ)ます子


家告(いへの)らせ


名告(の)らさね


そらみつ


大和の国は


おしなべて


我(わ)れこそ居(を)れ


しきなべて


我(わ)れこそ居(を)れ


我(わ)れにこそは


告らめ


家(いへ)をも名をも


熟田津(にきたつ)に 船乗り(ふなのり)せむと 月(つき)待てば 潮(しほ)もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出(い)でな


【説明】斎明天皇の七年(六六一)正月、斎明女帝は船団を組み、朝鮮半島の新羅に遠征するため西へ向かった。新羅に侵攻された百済救援のためである。熟田津は愛媛県松山市、今の道後温泉のあたりで、ここにしばらくとどまった後、出航するときの歌である。皇太子中大兄皇子、大海人皇子をはじめ、皇女たちも同行したにぎやかな旅で、額田王の歌は一行の高揚した気持ちを代表するように歌い上げている。この歌には左注があり、斎明天皇の作だと伝える。おそらく実際は額田王が天皇になり代わって詠んだものと考えられ、このことから宮廷における彼女の立場を推し量ることができる。額田王は初期万葉随一の女流歌人。彼女の数奇な運命については後述する。