熟田津(にきたつ)に 船乗り(ふなのり)せむと 月(つき)待てば 潮(しほ)もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出(い)でな


【説明】斎明天皇の七年(六六一)正月、斎明女帝は船団を組み、朝鮮半島の新羅に遠征するため西へ向かった。新羅に侵攻された百済救援のためである。熟田津は愛媛県松山市、今の道後温泉のあたりで、ここにしばらくとどまった後、出航するときの歌である。皇太子中大兄皇子、大海人皇子をはじめ、皇女たちも同行したにぎやかな旅で、額田王の歌は一行の高揚した気持ちを代表するように歌い上げている。この歌には左注があり、斎明天皇の作だと伝える。おそらく実際は額田王が天皇になり代わって詠んだものと考えられ、このことから宮廷における彼女の立場を推し量ることができる。額田王は初期万葉随一の女流歌人。彼女の数奇な運命については後述する。