Archive for 七月, 2005

 大暑にしては過ごしやすい土曜の夕方だった。いつもの、さざ波のような前触れをほとんど感じないうちに、突然大きな揺れが来た。千葉県を震源とした23日の地震である。

 家のどこかの壁が、みしみしいっている。火を使っていないことを確かめながら、東京では、ここ10年に一度あったかどうかの大揺れだから、震度4以上だろうと推測した。

 テレビで速報が始まる。千葉方面などが震度5弱だ。大災害が予想される震度6以上の地点が見あたらないので、ひとまずほっとする。都内は震度4以下なのかと思っていると、20分以上たったころ、突然足立区が、この地震で最大の震度5強と出た。

 都庁から気象庁にデータが届くのが遅れた。区市町村の地震計などのデータは都庁に集められ、変換して気象庁に送信される。阪神大震災を機に導入したシステムで、当時は最先端で最高速だったという。都庁では、今回の地震でシステムなどの限界が表れたとして早急に抜本的な改善をすることにした。

 震度情報は、被害の予測を立てたり対応を決めたりするための基本的なデータだ。一刻を争うシステムが、大事な時に滞るとは。直下型の大地震が懸念される首都の備えとしては、はなはだ心もとない。

 今回は大災害には至らなかったが、鉄道やエレベーターなど、人を運ぶ仕組みのもろさが露呈した。できれば、日ごろから足腰を鍛えておいた方がいいのだろう。地震は、忘れていてもいなくても、いつかはやってくる。もしも、やってこないなら、それはそれで言うことはないのだから。

 ギリシャ神話のプロメテウスは、天上の火を人間に与えたかどで、最高神ゼウスの怒りを買う。アイスキュロスの悲劇「縛られたプロメテウス」には、山にプロメテウスを縛り付ける役のひとりとして、クラトスが登場する。ゼウスのしもべ?クラトスは「権力」を意味するという。

 同時爆弾テロが続いたロンドンで、ロンドン警視庁が、「クラトス」作戦と呼ぶ新しい作戦を展開中と伝えられる。テロ狙撃チームが爆弾所持者らを撃つ場合は、下半身ではなく頭を狙うように内部規定を変えた。先日、ロンドンの地下鉄で、警官が男性に対して至近距離から発砲し、死亡させた。その男性は、爆破事件には無関係だったことが分かった。

 警察は、ロンドンでの3度目の同時テロは絶対に許さないという決意で、捜査に全力を挙げていたにちがいない。市民もまた、祈るような思いで、日々を過ごしているのだろう。

 疑心暗鬼という言葉が思い浮かぶ。疑心が生じると、実際にはありもしない恐ろしい鬼の形が見えるようになる。

 何でもないことでも疑わしくなり、恐ろしくなる。そして、いつもなら踏みとどまるはずなのに、突き進んでしまう。かつて日本では、関東大震災で「朝鮮人が襲撃してくる」というデマが広がり、多くの人が殺害された。

 クラトスには、ビアという兄弟がいて、そちらは、「暴力」を意味する。神話では、クラトスとビアは、いつも一緒だという。もとよりテロという暴力は許し難いが、「権力」は、「暴力」と同居しないよう踏みとどまるべきだろう。

 幕末の志士、高杉晋作は何かと仲間に血判を求めた。「夷狄(いてき)を討つ」と江戸で御楯(みたて)組を結成した時には二十数人が血盟に応じた。なのに京都で将軍暗殺の同志を募ると1人しか応じない。高杉の呼びかけでも、企てがむちゃならそっぽを向かれたようだ。

 郵政法案をめぐる血判の動きが報じられている。民営化に反対の自民党議員たちが結束を固めるため、誓紙に名を連ね、血の判を押したと。本当なら、何とも時代がかった話ではないか。

 発案したと伝えられる亀井久興衆院議員に尋ねた。「たしかに私が誓紙を用意した。同じ意見の衆院議員に署名を頼んだが、血判はお願いしてませんよ」。応じたのは約20人で、採決では全員が誓い通り反対票を投じた。牛王(ごおう)宝印と呼ばれる熊野神社発行の誓紙を使ったそうだ。

 熊野信仰では、牛王宝印の誓いを破ると血を吐いて死ぬと伝えられる。『吾妻鏡』には、義経が頼朝に忠心を訴えた手紙は牛王宝印に書かれたとある。赤穂浪士が復仇(ふっきゅう)の誓いに使ったのもやはり牛王宝印だった。神罰覚悟の連判状など講談の世界だけかと思っていたが、政界では今でも立派に通用するらしい。

 誓文に署名する習わしは平安時代にさかのぼる。戦国の世に裏切りが相次ぎ、署名だけでは安心できなくなった。それで血判が重みを増す。徳川幕府も忠誠の血判をしばしば諸大名に出させている(石井良助『はん』学生社)。

 参院自民党でも、血判や連判の動きがあると聞く。切り崩しや寝返りをにらみつつ、票を読む声がセミのごとくかまびすしいこの夏である。

 まず、ぽっかりと開いた目にひきつけられる。黒い穴のような目の先に短いくちばしがあり、右の肩から翼が伸びている。和歌山市の「岩橋(いわせ)千塚古墳群」で出土した鳥形埴輪(はにわ)の写真を見て、一時心がなごんだ。

 埴輪の顔が私たちをひきつけるのは「切りとった目ゆえである」と国立歴史民俗博物館の館長だった佐原真さんが書いていた。「埴輪の顔に対するとき、人はおだやかな眼差となる。切りとった目は、目の輪郭にすぎず、黒目がない。埴輪は相対する者を凝視できない」(『日本の美術』至文堂)。

 人物埴輪についての記述だが、動物の埴輪にも通じるところがあるように思う。「埴輪に対する人は、見つめられることなしに、見つめることができる」。それだから、やすらいだ気持ちで埴輪に向かうことができると佐原さんは記す。

 東京?両国の江戸東京博物館で開催中の「発掘された日本列島2005」には、全国各地からの様々な出土品と共に埴輪も幾つか展示されている。中に奈良県巣山古墳で出土した3羽の水鳥形埴輪がある。白鳥を思わせるこの埴輪の目は、くりぬかれてはいない。しかし、これはこれで、じっと遠くを見ているような風情がある。

 鳥形の埴輪には、死者の魂を来世に運ぶといった解釈もあるそうだ。翼を広げたものが出土したのは、今回の和歌山が初めてという。奈良文化財研究所の高橋克寿?主任研究官は「渡り鳥のように飛ぶことが得意な鳥をモデルにしたと考えられる」という。

 古代からよみがえった謎の鳥は、想像の翼を広げてくれる。

  “活下去,总会有让你高兴的事。”

  本想把前天的日记删掉,最终还是放弃了。


  我,至今活在自己编织的谎言之中。明明不快乐,却让自己觉得快乐;明明悲伤,却要让自己觉得不悲伤。因为一旦承认了自己的悲伤,承认了自己的寂寞,生命将苦不堪言。


  可我再不想这样下去。无论悲伤、寂寞、遭人嫌弃,那都是真正的我。纵然面对自己是那样痛苦,但我想至少在自己死的时候能诚实一点。


  还有37天。


  昨天上传了日记以后,一直在后悔。自己也不明白怎么会就上传了。只要我不写,那些事情永远不会有人知道……难不成我竟是想利用这个,利用人们的评论,比如:“你真是垃圾!”“恶心死了”等等,作为将死的我的论定?!无论发生任何事我都会去死,我已经决定了。


  眼泪毫无征兆地淌下。记日记真的真的很痛苦。


  还有38天。


  傍晚时分起床,洗手,漱口;再洗手,再漱口……。呆坐床上想起自己昨天干的那些事情,不知不觉抽泣起来,蜷缩着。我真的做了不可饶恕的事。

  昨天上午就起来去诊所了。虽然几度下定决心放弃那里,却在不知不觉间又走到了门前。我也知道,这样下去不可能搞到足够自杀的安眠药,我甚至都已经开始考虑上吊的可行性了……

  诊所里,医生仍然做了一样的诊断,开了一样的方子。

  “服药以后的确比较容易睡一些。”我这样告诉医生。老去就诊,总要有些起色才说得过去吧。医生倒像身体不适,脸上的笑容略显僵硬。


  走出诊疗室,听见医生和接诊处的女子谈话。不大清楚,只隐约听见女子说:“你还好吧?”“我也是有点多。”云云,而医生说:“我刚刚才换的。”“小腹不好受。”等等。那一瞬间,隔壁卫生间里三角形的垃圾箱突然出现在我脑海。


  我经过接诊处,走进了卫生间。把门锁好,看一眼角落的垃圾箱。我放下背囊,再次确认门锁。是锁好了。不禁有些激动。深呼吸,让自己平静。我打开垃圾箱盖,里面有一个成人拳头大小的外包着卫生纸的东西。我捡出来打开,是卫生巾。于是,用卫生纸把它重又包好,放入背囊里的塑料袋。接着,收紧背囊,按下冲水纽,尽量若无其事地走出了诊所。


  ……(此处略去污秽文字若干。)


  我真是个污浊骯脏的东西。根本就不配活着。对医生那样的人,尤其毫无价值可言。岂止如此,根本是个玷污医生的垃圾!我一定要死,一定。


  还有39天。

……


 「せきめんの素顔」という冊子がある。アスベストの業界団体?日本石綿協会が、88年に出した。前書きに、石綿は「産業界の進歩、発展に無くてはならない貴重な存在」とある。国際労働機関(ILO)条約で、毒性の強い青石綿の使用が禁止されてから2年後の刊行だった。

 冊子は、石綿によって引き起こされる病気にも触れているが、こんなくだりもある。「対策が次々と打たれ……今後石綿による疾病の危険はほとんどないと確信できるまでに至っております」

 一般の住民に対する石綿粉じんによる危険率については、こう述べている。「めったに起きない落雷による死亡危険率と同程度か、それ以下とする専門家の意見に同意するものであります」

 記述は、やはり、石綿の益の方に重く、害の方に軽く傾いているようだ。その後に発覚した被害は、甚大だった。

 この冊子が出る10年以上前に、当時の労働省が、石綿工場の従業員の家族や周辺住民の健康被害について危険性を指摘する通達を出していた。なのに、国は有効な手を打たなかった。「決定的な失敗」と、今の副大臣が述べたが、公の不作為による「公」害の様相が一段と濃くなってきた。

 かなり古びた『石綿』という本を開く。「我が国に於ける石綿工場労働者の健康状態に関する組織的な報告は未だ見ないが、工場内の塵芥の程度は、著者の見たる範囲に於ては実に甚だしいものである」。日本パッキング製作所技師長?杉山旭著、昭和9年刊とある。71年前に記された「石綿の素顔」のように思われた。