「参加した研究会で、総合学習には一世紀以上の歴史があることを話すと、驚かれることが多い」。こう記しつつ、東大名誉教授 稲垣忠彦さんは、明治後期の記録を『総合学習を創る』(岩波書店)で紹介している。

 1896年の高等師範学校付属小学校2年の「飛鳥山遠足」だ。遠足前日、教員?樋口勘次郎は、東京?上野から王子の飛鳥山までの予定コースを歩き、指導の構想を立てる。当日、生徒たちは地図を手に、不忍池、動物園、田畑、村落、停車場などを観察して巡る。翌日は、紀行文を書かせる。

 現代にも通じるような校外学習だが、樋口が紀行文を読んで整理したという「生徒の学問」が面白い。「動物学。イナゴ、家鴨(あひる)、金魚」に始まり、植物学は「麦、茶、……葉の凋落(ちょうらく)、芽」、農業、商業、工業、地理、地質ときて「人類学」に至る。「うすつく爺、大根あらう婆、籾(もみ)うつ乙女、汽車中の客、彼等は皆生徒に人類学をよましむる書物なり」

 2002年に本格導入された現代の「総合学習」が揺れている。今の文部科学相は、この「総合的な学習の時間」を削って国語や算数など教科の学習に振り向けるととれる発言をしたという。

 限られた時間をどう使うかは教育の大事な課題の一つだ。しかし文科相の発言は、あまりにも安直な引き算、足し算ではないか。

 「何を教えたらいいのか悩む」とか「受験での点数が大事と親たちが言う」などの反応は導入前から分かり切ったことだ。現場も行政も右往左往することなく、限りある力を総合的に使ってほしい。