「不便でも自然の中で暮らす方がいい」。そう語っていたジャック?モイヤーさんは昨年1月、74歳で亡くなった。長年、三宅島で暮らし、海洋生物の研究や自然保護に取り組んできた人だ。

  米カンザス州出身で1950年代に来日して以来、三宅島の魅力にとりつかれ、やがて住みついてしまった。住民に慕われ、子どもたちの野外学習にも熱心だった。96年には「朝日 海への貢献賞」の「ふれあい学習賞」が贈られた。

  全島避難で東京都北区の都営アパートに移ったが、昨冬、自室で遺体が発見された。自ら命を絶ったらしい。モイヤーさんのようについに帰島を果たすことなく島外で亡くなった人は約200人にのぼる。

  一足先に帰島した集団もいる。国の天然記念物で島のシンボルともいえるアカコッコをはじめ多くの鳥類だ。噴火直後は激減したとみられていたが、2年後の調査では大幅に回復していた。近くの神津島に避難していたらしい。昨年は、一時帰島した住民が家の庭に小鳥たちが集まっているのを見て「もう大丈夫」と話し合ったという。

  三宅島の名物の一つに太鼓がある。長い伝統を誇る「神着木遣(かみつききやり)太鼓」である。世界各地で演奏活動をする「鼓童」が伝授を受け、演目に取り入れたことで広く知られるようになった。都内などで開催されてきた「島民ふれあい集会」ではしばしば木遣太鼓が登場、涙ぐみながら聴き入る人も少なくなかった。太鼓の音が島に復活するのはいつの日か。

  4年半の空白を取り戻す。容易ではないだろうが、着実に進んでほしい。