美しい古都と廃虚と。ドレスデンという地名は、いつも二つの映像が重なり合って複雑な感慨をもたらす。「エルベのフィレンツェ」と美しさをたたえられたドイツの古都が連合国軍の空爆で一夜にして瓦礫(がれき)の街になったのは、60年前の2月13日だった。

 爆撃直後のドレスデンを列車で通過した17歳の青年が、後に語っている。「若くて事態をよくわかってはいなかった。しかし焼けこげた遺体が積み上げられている光景に衝撃を受けた」「以前のドレスデンを知っていたから、変わりようはよくわかった」

 後のノーベル賞作家ギュンター?グラス氏である。しかし彼を真に震撼(しんかん)させたのは、戦後初めて見た強制収容所の写真であり、ナチスのユダヤ人迫害だった。反ナチスを貫く戦後の彼の歩みを決める経験だった。

 「ドイツ人の罪」を考え、語り、書きつづけたグラス氏だが、同時にドイツ人の犠牲者にも言及する必要がある、と考えてもいる。英美術誌のインタビューでこう語る。「私たちドイツ人が始めた。まず、英国の都市を爆撃した。しかし、ドレスデンへの爆撃もまた罪だ」

 ドレスデンでは13日、「追悼と和解」の式典が催された。一方、「ドレスデン空爆は爆弾によるホロコーストだ」と主張する国家民主党などネオナチと称される極右グループは街頭デモをした。戦後最大規模といわれる。

 ナチスドイツの罪を重く背負いながら「ドレスデン」を問うグラス氏と、ナチスを擁護しつつ「ドレスデン」を非難する勢力との距離があまりに遠いことはいうまでもない。