朝方の冷え込みは、まだ厳しいものの、晴れた日の陽光には春めいた柔らかさがこもる。「弥生(やよひ)ついたち、はつ燕(つばめ)、/海のあなたの静けき國の/便(たより)もてきぬ、うれしき文を……弥生来にけり、如月(きさらぎ)は/風もろともに、けふ去りぬ」。この「燕の歌」の作者?ダヌンチオは、イタリアの詩人?作家だ。

 日本での「弥生来にけり」の実感は、シェークスピアの「花くらべ」の方に近いかもしれない。「燕も来ぬに水仙花、/大寒こさむ三月の/風にもめげぬ凛々(りり)しさよ。/またはジゥノウのまぶたより、/ヴイナス神の息よりも/なおらふたくもありながら、/菫(すみれ)の色のおぼつかな」

 この2編を含む欧州の詩人29人の作を上田敏が訳した『海潮音』が出版されて今年で100年になる。「山のあなたの空遠く」のブッセ、「秋の日のヴオロンのためいき」のベルレーヌ、ボードレールらの詩句がきらめく。

 「人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない」と書いたのは芥川龍之介だった。彼の妻の文(ふみ)が初節句に買ってもらった雛(ひな)人形が今、ふたりにゆかりの深い東京都墨田区の「すみだ郷土文化資料館」に展示されている(10日まで。月曜休館)。

 箱書きは、明治34年3月だった。『海潮音』が出る4年前だが、1世紀もたっているとは思えないほど、保存状態が良い。五人囃子(ばやし)の細やかなしぐさからは、笛や鼓の音が響いてくるようだ。

 龍之介と文の孫の芥川耿子(てるこ)さんが寄贈した。文が、60歳の節句に書いた色紙もある。〈古雛や顔はればれと六十年〉。雛祭りの明日、耿子さんが60歳になるという。