詩人?栗原貞子さんの「生ましめんかな」は、広島市での被爆の翌年、栗原さん自身が編集した雑誌『中国文化』に発表された。81年に復刻された本を見ると、題は「生ましめん哉」で、副題に「原子爆弾秘話」とある。

 栗原さんは、この被爆後の出産の様子を人づてに聞いて、詩にまとめたという。夜、旧広島貯金局の地下室で、避難していた臨月の女性が産気づく。「その時、『私が生ませてあげましょう』と言った産婆さんは背中一面と左腕の肘(ひじ)までやけただれていた重傷者だった」(『核時代に生きる』三一書房)。

 赤ん坊は生まれたが、産湯の設備はない。夜明けを待って、軽傷の被爆者が「原子野」に出て行き、焼けてくちゃくちゃになった洗面器を拾い、布切れを水にひたして赤ん坊を拭(ふ)き清めた。「母子は被爆した人々に支えられて生きのびたのだった」

 後年、この母親が栗原さんに言ったという。「あの時、地下室にいられなかったのに、その時の状況や、私たちの気持ちを、そのまま作品化して下さって」

 栗原さんが戦後に貫いた反戦、反核、そして反骨の精神は並はずれて強固なものだった。その底には、この詩が象徴する、命がけの命の伝達があったのではないか。未曽有(みぞう)の殺戮(さつりく)が行われた街の深い闇の中で、人々が一つの命を世に送り出すために力を尽くす。そして、新しい命を灯(とも)して、一つの命が消えてゆく。

 栗原さんもまた、深い傷を背負いながらも、平和を生ましめんとして力の限りを尽くした。そして、被爆60年の早春に、92歳で逝った。