長寿に恵まれると、若いときの仕事に歴史がどんな審判を下すかを知ることができる。プラスの評価を得る者は幸いだ。今月17日に101歳で亡くなった元米国務省高官のジョージ?ケナン氏は、そんな一人である。
 第二次大戦後、冷戦初期の動乱期に活躍したケナン氏は、辛抱強い外交でソ連の膨張的傾向をチェックすれば、内部矛盾から崩壊すると予言、「封じ込め」を立案した。日本に対する占領政策を緩やかなものにして、経済復興を重視する路線に転換させた。
 ソ連の崩壊と日本の経済大国化を、彼は自分の目で見届けることができた。ただし、米外交の過剰な道徳主義や軍事手段の過大評価を戒める提言は、ワシントンでは理解されず、53年に退任に追い込まれた。プリンストン高等研究所に移り、著作を通じてベトナム戦争を批判するなど米外交に影響を与え続けた。
 ケナン氏と言えば、思い出すことがある。同時多発テロ直後、アーミテージ国務副長官に米外交への長期的な影響をたずねたところ、「国務省には、20年先を考える部局がある。政策企画室だ」と胸をはった。
 この政策企画室こそ、若きケナン氏が初代室長を務め、米外交の青写真を描いた部局だった。しかし、米国は、国際社会の合意を待たずにイラク戦争に突入、いまだにイラクの民主化の確たる見通しはない。
 国務省の彼の後輩たちは何をしていたのだろう。「私たちは自国についてバランスのとれた見方をすべきだ。自分で思うほど世界を変えることはできない」。ケナン氏が残した言葉である。