19世紀フランスの詩人ロートレアモンの「マルドロールの歌」に、印象的な一句がある。「解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会ったように美しい」。異種のものの思いがけない出会いで、あやしいまでの詩情が生まれる。

 芸術の世界ではないのに詩情を感じさせる方程式がある。アインシュタインが導いたE=mc2だ。E(エネルギー)はm(質量)×c(光速)の2乗に等しい。エネルギーという燃えさかる炎のような力と、物と光とが、簡明な式で出会っている。

 「質量もエネルギーも、同じものが異なる形であらわれたものです……とても小さな質量が、とても大きな量のエネルギーに変換されるかもしれないことを示しています」(『アインシュタインは語る』大月書店)。この方程式につながる特殊相対性理論の発表から100年がたった。

 アインシュタインは、1922年、大正11年に日本を訪れ、1カ月余滞在した。「相対性博士」は各地で講演し、大歓迎を受けた。帰国に際し、朝日新聞に謝辞と希望を寄せた。

 「特に感じた点は、地球上にも、まだ日本国民の如く……謙譲にして且つ実篤の国民が存在してゐることを自覚した点である」。山水草木は美しく、日本家屋も自然に叶(かな)い独特の価値があるので、日本国民が欧州感染をしないようにと希望した。

 その日本国民と山河とを、後に原爆が襲う。ナチスが先行するのを恐れて、原爆の開発を米大統領に進言する手紙に署名したことを悔い、戦後、平和を訴え続けた。そして50年前の4月18日、76歳で他界した。