「50年前、バンドンに集まったアジア?アフリカ諸国の前で、我が国は平和国家として、国家発展に努める決意を表明しました」。今も、その志にいささかの揺るぎもないと、小泉首相はジャカルタで演説した。

 50年前のバンドン会議の日本代表は、首相ではなく、高碕達之助?経済審議庁長官だった。その演説を本紙はこう伝えている。「わが日本が国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、武力による脅しを行わざる平和民主国家であることを、この機会に再び厳粛に宣言する」。大戦後の講和会議から4年、アジア諸国とまみえる場で、新憲法の精神が強調された。

 ジャワ島のバンドンは、さわやかな風が吹き渡る高原の街だという。かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」とも呼んだ。しかし過酷な植民の歴史は、この街を「火の海」にしたこともあった。

 独立宣 言後の1946年、再植民地化をたくらむオランダの攻撃に遭い、インドネシア共和国軍はバンドン市の南部に火を放って山岳地帯に逃げた。人々の愛唱歌「ハロ?ハロ?バンドン」は、バンドンを奪い返す誓いの歌だという(『インドネシアの事典』)。

 支配され侵略された側では、その思いは世代を超えて伝わってゆく。相手国の過去を許したとしても、忘れはしまい。相手が忘れることは、許し難いだろう。

 小泉首相は昨日、日本のアジア諸国に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した。「決して忘れてはいない」と伝わったのかどうか。耳を澄まして、答えを待ちたい。