建設へ向けての構想から完成まで、17年の歳月を要した。今月、ベルリンにできた「ホロコースト記念碑」である。

 シュレーダー首相も出席して完成の式典が行われた。市中心部のブランデンブルク門近くの広大な敷地に、墓標に見立てた約2700基のコンクリートの柱が立ち並ぶ。

 周囲には連邦議会や首相府がある。東京なら永田町あたりの一角に、歴史の一大汚点を永遠に記す大きな碑を設けた。ナチスのなした行為の途方もない残虐さや重さと、それとの決別を強く訴えようとする姿勢がみられる。

 完成に至るまで、慰霊の対象者などで議論があった。碑には犠牲者の名は刻まず、対象はユダヤ人に限定した。この碑からそう遠くない所には、国籍などを問わない戦死者の追悼施設「ノイエ?ワッヘ」がある。

 入り口脇に追悼文が掲げられている。「我々は追悼する、戦争によって苦しんだ諸国民を……迫害され、命を失った その市民たちを。我々は追悼する、世界戦争の戦没兵士たちを……戦争と戦争の結果によって 故郷において、また捕虜となって、そして追放の際に命を落とした罪なき人々を……」(南守夫訳/田中伸尚編『国立追悼施設を考える』樹花舎)。

 国籍、民族や、兵士か市民かも問わず、すべての死者を、否定すべき戦争と暴力支配の犠牲者として追悼している。その施設の内部には「死んだ息子を抱く母親」のブロンズ像が置かれている。息子は兵士の姿ではない。母から生まれた時のように裸だ。追悼のありかたが改めて問われる、戦後60年の夏が近い。