米上院には一風変わった慣例がある。本会議で討論を始めたら、何時間でも続けられる。フィリバスター(長時間演説)と呼ばれる少数派の抵抗手段だ。

 かつてはシェークスピアのせりふを朗唱した者もいた。1人で24時間18分という記録もある。年配の人は米映画「スミス都へ行く」を思い出すだろう。理想家肌の新米議員が、ボス政治家の腐敗を摘発するために、体力が尽きるまで演説を続ける話だった。その無制限の長時間演説を今後も認めるかどうかで今月、米議会が大もめにもめた。

 フィリバスターは、上院議員100人のうち60人の賛成で打ち切ることができるのだが、今の与党共和党では数が足りない。ブッシュ大統領が、保守派の法律家を連邦裁判事に起用しようとして議会に承認を求めたところ、民主党がフィリバスターをちらつかせた。共和党はこの抵抗手段を禁じようと議事規則の変更を企て、全面対決となった。

 結局、フィリバスターを残す代わりに、一部の人事の採決を認めることで、妥協が成立した。交渉をまとめた両党の穏健派は、「上院の話し合いの伝統が守られた」とほっとしている。

 翻って日本を見ると、米国と同じ合法化された抵抗手段はない。強いて言えば、牛歩戦術や審議拒否だろうか。

 だが、こうした物理的抵抗には、政府?自民党は応じようとしないし、世論の理解も得にくくなった。だからといって、多数派が数で押しまくる一方では、国会論戦も不毛なままだ。日本も2大政党の時代と言われるが、それにふさわしい伝統は生まれていない。