作家の堀辰雄が4歳か5歳で見た花火の群衆の記憶を「幼年時代」に書いている。ものごころつく前だったのに、花火見物の人波に押されて母の背で泣きじゃくったことは鮮明に覚えていると。年譜によれば明治40年ごろ、東京?隅田川の花火を見たようだ。

 隅田川の花火は徳川吉宗の時代にさかのぼる。江戸庶民に人気のあまり雑踏事故が何度か起きた。明治の半ばにも橋の欄干が崩れて数十人が転落死した(小勝郷右『花火-火の芸術』岩波新書)。

 今年も全国で大小700もの花火大会が開かれている。どこも資金不足に雑踏対策が重なって、かなりの難事業になりつつある。たとえば千葉県の印旛沼花火大会の場合、毎年30万人を集める行事だったが、今夏は中止された。4年前に兵庫県明石市で起きた事故の教訓で警備費が膨らみ、一方で協賛金が集まらない。

 主催の佐倉市観光協会の斉藤啓光さんは「明石の事故は各地の花火を変えた。どこも警備費を増やし、観客の誘導が綿密になった」と話す。以前なら50人で足りた警備員を昨年は299人雇った。

 花火での雑踏事故は海外にもある。英国では18世紀、王族の結婚を祝う花火で群衆千人がテムズ川に転げ落ちた。カンボジアでは約10年前、国王誕生日の花火に市民が殺到して死者が出ている。

 「地獄絵図さながらの群集雪崩」。明石の惨劇を、神戸地裁の判決はそう表現した。善意の群衆がたちまち他人を押しつぶす暴力装置に変わる。あの怖さを胸に刻みつつ、この夏もどこかで、夜空を彩る一瞬の美を楽しみたいと思う。