9日午前11時2分、長崎市の「原子爆弾落下中心地」の碑の下から空を見上げた。太陽が目を射る。60年前のその時、地上約500メートルの所で原爆が炸裂(さくれつ)した。

 太陽が落ちてきたようなありさまを想像する。直後の映像や被爆した人たちの証言、原爆の資料館の展示などを念頭において周囲に目をこらし、また瞑目(めいもく)して考える。来るたびにそうするが、実際に何がどうなったのかを想像できたというところには、とうてい至らない。やはり、人間の想像をはるかに超えるおぞましい行為が人間によってなされた現場というしかないのか。

 8日、爆心地から1キロ余りの所にある長崎大学の構内の慰霊碑の前で、花に水をやる女性がいた。今年で70歳という女性は、小学校5年の時に被爆した。爆心からやや離れた自宅に居たため生き延びたが、当時この地にあった兵器工場で働いていた父親を失った。「遺体も見つかりませんでした」。60年間、父は行方不明のままだ。

 9日、爆心地近くの丘に立つ浦上天主堂で「被爆マリア像」が公開された。もとは大聖堂の祭壇に飾られていたが、あの日、わずかな側壁を残して建物が吹き飛んだ。後日、木の像の胸から上だけがみつかった。

 間近に見ると、ほおや髪が焦げている。眼球が抜け落ちた両の目は、黒くうつろで、底知れない二つの闇のようだ。

 いたましい姿だが、不思議な生命力を感じさせる。像の失われた部分は、長崎であり、広島ではないか。マリア像はその存在の証しであり、その記憶を未来に伝えようとしているように思われた。