終戦の翌々年の生まれなので、その日のことは直接には知らない。しかし昭和20年、1945年の8月15日は、頭のどこかに住みついているような気がする。この日を、あるいはこの日に至る日々を伝えるものに接する度に、その意味を考えさせられてきた。

 さまざまな人の日記に、その日の思いが記されている。それぞれにひかれるものはあるが、「戦後還暦」の年に改めてかみしめたいのは作家?大佛次郎の『敗戦日記』(草思社)の一節だ。

 「自分に与えられし任務のみに目がくらみいるように指導せられ来たりしことにて……」。軍人たちが敗戦という屈辱に耐えうるかどうかを思い惑って眠れないというくだりだが、ことは軍人に限らない。

 「与えられた任務のみに目がくらんだ」のは、国民のほとんどだった。戦争が始まり、ことここに至っては軍人は軍人の、政治家は政治家の、あるいは親は親の、子は子のあるべきだとされる姿に向かって突き進んでしまった。国そのものの向きがどうなっているのかという肝心なことは見ず、それぞれに与えられたと思う狭い世界に閉じこもった。

 国民の、ある種のひたむきさには胸がつまる思いもするが、歯止めの無い奔流は、自国民だけではなく周辺国などを含むおびただしい人の命を奪い去った。メディアもまた、本来の任務を踏み外していたと自戒する。

 今日は追悼というだけではなく、与えられた任務のみに目がくらんでいないかどうか、それぞれの場で問い返したい。この今を「戦前」などと呼ぶ日の来ることがないように。