前日まで窓という窓に垂らしていた暗幕を、母親がとりはずした。「涼しい風がはいってきて、私は生まれてはじめての解放感を味わった」。作家の常盤新平さんが、60年前の終戦時を回想している(『文芸春秋』増刊号「昭和と私」)。

 空襲に備えて家々の光を外にもらさないようにする灯火管制から、その日解放された。中学2年生だった。

 〈涼しき灯(ひ)すゞしけれども哀(かな)しき灯〉。久保田万太郎の句には「八月二十日、灯火管制解除」と前書きがある。「終戦」という前書きでは、こう詠んでいた。〈何もかもあつけらかんと西日中〉。

 焼け跡の街で「戦後」が始まろうとしていた。その始まりの合図のように灯(とも)されたのが、管制を解かれた無数の明かりだった。久々に街に放たれた光は、解放感を呼び起こしつつ、長かった戦争の惨禍や人間の哀しさを思わせたのだろう。

 戦時中に民俗学者の柳田国男が著した「火の昔」に、灯火管制に触れたくだりがある。「近頃では灯火管制をしなければならぬ程、灯火(ともしび)は明るくなつてゐますけれども……」。昔は、闇を明るくするために皆が大変な苦労をしたと述べる。「世の中が明るくなるといふことは、灯火から始つたといつてもいゝのであります」(『柳田国男全集』筑摩書房)。

 あの夏に戻ってきた灯火は、絶えることなく、より強く明るく、街を家を照らし続けてきた。災害時は別として、常にあって当たり前の存在となった。60年後の一夜、光が閉ざされたり、焼け跡を照らし出したりした日々があったことを思い起こしたい。