米国ではこのところブッシュ大統領が新たに最高裁長官に指名したジョン?ロバーツ氏の話でもちきりだ。上院の過半数の承認が必要なので、連日議会で公聴会が開かれ、厳しい質問が浴びせられている。

 「患者が生命維持装置を外してくれと言ったとき、死ぬ権利は認められるか」「抽象論では答えられない。個々のケースが出る前に予断を与えたくない」。ロバーツ氏は大統領好みの保守派と言われるが、リベラル派にしっぽをつかまれないように、巧みに質問をかわす。

 野党幹部が「いつまでもそうやって答えを拒否し続ければいい」と悪態をつくほどだ。米国が熱くなるのも無理はない。最高裁が積極的に違憲審査権を行使する米国では、だれが裁判官になるかで政治の流れが変わるからだ。

 黒人と白人が別々の学校に行く隔離政策をやめさせたのも、女性に妊娠中絶 の権利を認めたのも、最高裁の判決だった。米国の政治学の教科書を開くと、最高裁の裁判官9人を思想的に左から右に順番に並べて解説してある。

 かたや日本では、どれだけの人が最高裁の裁判官の名前や考え方を知っているだろうか。総選挙で裁判官の国民審査の用紙を手渡されて、とまどった人が多かったのではないか。政治に距離を置いてきた最高裁の姿勢が国民の関心を遠ざけてきた面もあるだろう。

 とはいえ、米国でも、保守派と思われていた人がリベラルな判決を連発し、任命した大統領が地団太を踏んだ例もある。そういう裁判官はレーダーに映らない軍用機をもじって「ステルス」といわれるそうだ。