アインシュタインは、1922年、大正11年の暮れの今頃、京都、奈良を夫婦で旅していた。ノーベル物理学賞の受賞が決まったばかりで、東京や仙台、名古屋などでも盛んな歓迎を受けた。東京では小石川植物園で帝国学士院の歓迎会があり、記念写真が残された。

 戦後の昭和39年、その植物園に英国からリンゴの苗木がやってきた。ニュートンが万有引力を発見したとの逸話のあるリンゴから接ぎ木されたものだった。その時、科学の巨人ふたりの接点が小石川にできた。

 「ふたりのどちらが、科学や人類により貢献したか」。アインシュタインの特殊相対性理論などの発表から100周年の今年、英王立協会が投票を募った。

 「科学への貢献」では、協会の科学者も一般人も、ニュートンの方がかなり多かった。「人類への貢献」では、科学者の6割がニュートンだが、一般人では、票は半々に分かれた。

 2000年に、本紙が、この千年の傑出した「日本の科学者」を読者から募集した。「日本の」なのに、科学に国境はないというのか、外国人を挙げる人もいた。そのトップはアインシュタインで、ニュートンは5番目だった。

 アインシュタインは、自宅の書斎にニュートンの肖像を飾っていたという。「ニュートンにとって自然は一冊の開かれた書物であり、その文字を難なく読むことができた」とも述べた(金子務『アインシュタイン劇場』青土社)。昨日、冬空に枝を差し伸べる小石川のリンゴの前で、自然という書物を前人未到の目で読み解いたふたりのことを考えた。