0歳から100余歳まで、1年ごとの年齢のもつ意味合いを、各界の著名人がその年でしたことと並べてつづる。英国の動物行動学者デズモンド?モリスの『年齢の本』(平凡社)は、ユニークな視点で描かれた一冊だ。

 「15歳は門出の年だ。青年期の若者が成人期にまさに入ろうとする時期であり、刺激的な世界に胸をときめかす」。ビリー?ホリデイがニューヨークで歌い始めた年とある。日本なら、プロ棋士?羽生善治の誕生を挙げるところか。

 モリスは、日本を含む多くの国々が、この年齢を義務教育の修了年限にしていることにも触れている。日本の場合は、進学や就職といった試練に直面するこの年を「15の春」と形容してきた。

 この人の「15の春」はどうなるのか。フィギュアスケートのグランプリファイナルで優勝した浅田真央さんの見事な演技の映像を見ていて、そんなことを思った。

 今年の7月1日の前日までに15歳に達しているのが、トリノ五輪の出場資格の規定だった。浅田さんが15歳になったのは9月だった。この年齢制限の規定は一貫しておらず、その時々で変わってきた。

 年端も行かない小学生のような幼子に、才能があるからといって練習や演技を強要しているのなら、より強い規制も必要だろう。しかし今回は「門出の年」に達した人の出場資格だ。伸び盛りの若い人には、独特の胸のすくような勢いがある。重力のくびきを離れる瞬間の姿が五輪で見られないのは残念だ。今の線引きの仕方がくびきになっていないかどうか、再考する価値はある。