宮沢賢治がよく通ったという岩手県水沢市の旧緯度観測所の古い本館が、解体の直前に一転して保存される方向となった。代表作「銀河鉄道の夜」の構想を育んだとも考えられている建物だ。保存を訴える全国の賢治ファンの声を受けて、水沢市では市有にする方針という。

 今の国立天文台水沢観測所の敷地内にある木造2階建ての旧本館は、1921年、大正10年に建築された。その年に、賢治は現在の花巻市の農学校に教諭として赴任した。それ以後、地球の自転軸のふらつきなどを調べる観測所に、しばしばでかけた。

 「その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ」。童話「風の又三郎」の原型とされる「風野又三郎」の一節だ。詩「晴天恣意」の下書きの一つには「水沢緯度観測所にて」という副題が記されている。

 先日の夜、その旧本館を訪ねた。小さな望楼付きの洋風の建物は、雪明かりの中で、大きな黒い影のように立っていた。半月が浮かび、星はあまり見えない。

 「銀河鉄道の夜」の初稿ができたのは、観測所に通っていた24年ごろだった。22年には愛する妹トシが亡くなっている。それまでそこに居た人が永遠に居なくなる。その深い悲しみが、少年ジョバンニが友のカンパネルラを失う物語に投影しているように思われる。

 旧本館に近づくと、ガラス窓の奥に小さな赤い電球の明かりが見えた。闇の中の一点の光。それは、「銀河鉄道」が掲げるともしびのように、ぽうっと静かに息づいていた。