天声人语


ワシントン、トラファルガー、コンコルド、天安門、皇居前……。多くの人が集まり、行き交う広場は、その都市の顔でもある。米議会で、ライス次期国務長官が「街の広場の試金石」という聞き慣れない言葉を使った。

 その国の自由の度合いについての判断法だという。人が、ある街の広場に行ったとする。自分の見解を、逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができないのであれば、その人は自由社会ではなく、恐怖の社会に住んでいるとみなす。

 この「タウン?スクエア?テスト」は、旧ソ連の政治犯で、今はイスラエルの政治家であるナタン?シャランスキー氏が提唱したという。この人は、かつて収監されていたモスクワの監獄を訪れた時、こう述べた。「母校に帰ってきたような気がする。ここは私が学んだうちで最も重要な“大学”だった」

 なるほど、学んで得た判断法には、一応の説得力がある。しかし、想像上のテストで判断はできたにせよ、肝心で、かつ難しいのは、結果との向き合い方だろう。

 ライス氏は「恐怖の社会」に住む全員が最終的に自由を勝ち取るまで、米国は取り組みをやめるわけにはいかないと述べた。ブッシュ大統領も、2期目の就任演説で、圧制に終止符を打つのが最終目的と語った。そして「フリーダム」と「リバティー」を計42回も使った。

 「自由の商人」のつもりかも知れないが、この政権の、武力行使や単独主義への傾きは、依然気がかりだ。ミサイルや砲弾と抱き合わせの「自由」ならば、世界の広場では売ってほしくない。

 世界一高い山は?と尋ねられたら普通はエベレスト(チョモランマ)と答えるだろう。でも、エクアドルのチンボラソ山だという答えも正解だといえるかもしれない。

 海抜でいうとエベレストだが、地球の中心からの距離ではチンボラソ山(海抜6310メートル)が最も遠い。地心距離といい、それだとエベレストは32位になってしまう。地球が真ん丸ではなく、赤道方向が張り出した楕円(だえん)体だから、赤道に近い山ほど「高く」なる(『地球が丸いってほんとうですか』朝日選書)。

 スマトラ沖地震が地球の形や自転などにも影響を与えたことがだんだんわかってきた。米航空宇宙局(NASA)の発表では、地球の扁平(へんぺい)率が減少、ほんの少し丸くなった。また、自転速度が増して一日の長さが100万分の2.68秒ほど短くなった。地軸も2.5センチほど東に移動したという。インドの観測チームによれば、アンダマン諸島はインド本土から1.15メートル遠ざかった。

 地震波は地球を少なくとも5周し、8周に至っているかもしれない、とは北海道大の解析だ。発生から3週間ほどたっても地球が震えていることを観測したのは国立天文台水沢観測所で、0.3ミリの幅で伸び縮みを続けたという。

 激震は人々に苦痛と悲しみをもたらしただけでなく、地球を揺さぶり、衝撃を与え、変形をもたらした。地球自体がなお激痛にあえいでいるかのようだ。

 神戸市で国連防災世界会議が開催されている。地球規模の災害を、地球規模で考える。そんな発想で論議を深めながら成果をあげてほしい。

「参加した研究会で、総合学習には一世紀以上の歴史があることを話すと、驚かれることが多い」。こう記しつつ、東大名誉教授 稲垣忠彦さんは、明治後期の記録を『総合学習を創る』(岩波書店)で紹介している。

 1896年の高等師範学校付属小学校2年の「飛鳥山遠足」だ。遠足前日、教員?樋口勘次郎は、東京?上野から王子の飛鳥山までの予定コースを歩き、指導の構想を立てる。当日、生徒たちは地図を手に、不忍池、動物園、田畑、村落、停車場などを観察して巡る。翌日は、紀行文を書かせる。

 現代にも通じるような校外学習だが、樋口が紀行文を読んで整理したという「生徒の学問」が面白い。「動物学。イナゴ、家鴨(あひる)、金魚」に始まり、植物学は「麦、茶、……葉の凋落(ちょうらく)、芽」、農業、商業、工業、地理、地質ときて「人類学」に至る。「うすつく爺、大根あらう婆、籾(もみ)うつ乙女、汽車中の客、彼等は皆生徒に人類学をよましむる書物なり」

 2002年に本格導入された現代の「総合学習」が揺れている。今の文部科学相は、この「総合的な学習の時間」を削って国語や算数など教科の学習に振り向けるととれる発言をしたという。

 限られた時間をどう使うかは教育の大事な課題の一つだ。しかし文科相の発言は、あまりにも安直な引き算、足し算ではないか。

 「何を教えたらいいのか悩む」とか「受験での点数が大事と親たちが言う」などの反応は導入前から分かり切ったことだ。現場も行政も右往左往することなく、限りある力を総合的に使ってほしい。

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