ワシントン、トラファルガー、コンコルド、天安門、皇居前……。多くの人が集まり、行き交う広場は、その都市の顔でもある。米議会で、ライス次期国務長官が「街の広場の試金石」という聞き慣れない言葉を使った。

 その国の自由の度合いについての判断法だという。人が、ある街の広場に行ったとする。自分の見解を、逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができないのであれば、その人は自由社会ではなく、恐怖の社会に住んでいるとみなす。

 この「タウン?スクエア?テスト」は、旧ソ連の政治犯で、今はイスラエルの政治家であるナタン?シャランスキー氏が提唱したという。この人は、かつて収監されていたモスクワの監獄を訪れた時、こう述べた。「母校に帰ってきたような気がする。ここは私が学んだうちで最も重要な“大学”だった」

 なるほど、学んで得た判断法には、一応の説得力がある。しかし、想像上のテストで判断はできたにせよ、肝心で、かつ難しいのは、結果との向き合い方だろう。

 ライス氏は「恐怖の社会」に住む全員が最終的に自由を勝ち取るまで、米国は取り組みをやめるわけにはいかないと述べた。ブッシュ大統領も、2期目の就任演説で、圧制に終止符を打つのが最終目的と語った。そして「フリーダム」と「リバティー」を計42回も使った。

 「自由の商人」のつもりかも知れないが、この政権の、武力行使や単独主義への傾きは、依然気がかりだ。ミサイルや砲弾と抱き合わせの「自由」ならば、世界の広場では売ってほしくない。