夜ひそかに集合する。墓地監視人にはワイロをつかうか薬をのませる。暗闇の中で必死に穴を掘り、財宝を探す。夜明けには盗品を山と積んで家に帰る――。エジプトではびこった盗掘の様子を、ツタンカーメンの王墓を発見した英国の考古学者ハワード?カーターは、こんな想像をしながら書いているという。(『ナイルの略奪』法政大学出版局)

 早稲田大の古代エジプト調査隊が、未盗掘の彩色木棺とミイラを発掘した。ミイラのマスクの色が鮮やかだ。顔やその周りに施された神秘的な青と、胸元を飾る軽快な赤との対比も目を引く。

 「さてミイラ加工を職として開業し、専門的技術をもった職人がいるのである」。紀元前5世紀にエジプトを訪れた「歴史の父」ヘロドトスが記している(『歴史』岩波文庫)。職人たちは、絵の具を用いて実物に似せた木製のミイラの見本を依頼人に見せる。見本は最も精巧な細工のもの、それよりは雑なもの、最も安いものと3種類あった。

 今回のミイラの主は行政官だという。「役人の給料は現物で支給された。役人は土地を貰(もら)い受け、そこで収穫されたものが彼らの生活を経済的に保証した」(『エジプト ファラオの世界』)

 現代の仕組みとは大違いだが、妙に似たところもある。「役人たちは引退が近づくと、それなりの働きをした役人は名誉職として大きな神殿の神官など、かなりの報酬が約束される地位を得ることも珍しくはなかった」

 日本にはびこる、天下りの源か。天下り先が、現代の神殿や、財宝付きの墓にも思われてきた。