〈大空に延び傾ける冬木かな 虚子〉。昨日、東京の空には雲がほとんどなく、木々は、目にしみるような青を背に立っていた。

  冬木には、天に向かってのびようとする勢いが感じられる。道に並ぶ木々を見ながら、その勢いは、葉を失ったことで得られるのではないかと思った。

  葉は枝から上向きに出ていても、葉の先の方は下を向いていることがよくある。葉先を、いわば下向きの矢印とすれば、葉を落としきった木には、それが全く無い。かわりに、多くが天を指してのびている枝や枝先という無数の上向きの印が強調される。それが、のびる勢いを感じさせる。

  「大きな枝から、また大きな枝が手を伸ばし、更に小枝が四方にこまやかに散らばり、となりのけやきと絡みあつてゐる。それらの梢の先々は、どこで終つてゐるのか、見究めがつかぬほどに、遠いところで消えてゐる」(「冬木立の中で」『結城信一全集』未知谷)。葉に隠れていた所があらわになり、枝の向きや傾きが目で追える。

  一本のサクラに近づく。細い枝の先をたどると、そこには芽がいくつもついていた。まだ小さくて堅い。しかし、内側から外の世界へ出てゆこうとする気配は十分にある。芽は、葉や枝ほどには目につかないが、枝と同じく、空に向かってのびようとする矢印のようにも思われた。

  〈斧(をの)入れて香におどろくや冬木立 蕪村〉。冷たい風に揺れながら空を掃いているような木々の姿は、ものさびしくもある。しかし、その内には新しい息吹が宿り、近づく時を待っている。今日は立春。