——この日本という国では、わが帝国のものとは比べようもないほどの速さで動き回る「戦車」によって、年に何千人もの命が奪われている。世界全体では、何万以上の命が毎年失われ続けているらしい。果たして彼らは、この大量の死を、永遠に続けるつもりなのだろうか……。

  もしも古代ローマ人が今現れたとしたら、こんな「未来社会の驚くべき蛮行」という報告を書くかも知れない。自動車事故による多くの死が永遠に続くかどうかは分からない。しかし、古代人なら驚くはずの膨大な死への恐れが、現代人では薄れつつあるのではないか。

  「戦車」が勝手に人の命を奪うはずもない。人が操る「戦車」が殺すのである。千葉県松尾町で、同窓会帰りの男女がひき逃げされ、4人もが亡くなった。痛ましい限りだが、この事件は、車を操る責任の重さと、車の凶器としての恐ろしさを、改めてみせつけた。

  「いつ人をひくことになるか分からないし、いつひかれるかも分からない」。こんな、古代にはない覚悟をしながら、現代人は暮らしている。いちいち口には出さず、のみ込んでいるが、死の影が消え去ることはない。

  養老孟司さんは『死の壁』(新潮新書)の中で、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いへの答えとして、「二度と作れないものだから」と述べている。「蠅を叩き潰すのには、蠅叩きが一本あればいい。じゃあ、そうやって蠅叩きで潰した蠅を元に戻せますか」

  ひき逃げに限らず、元に戻せない人の命を、むやみに奪い去るような事件が続く。