エルサレムの「嘆きの壁」に行ったのは、10年ほど前のことである。ユダヤ教の聖地の古い壁を前に多くの人が祈っていた。キッパという丸い小さな帽子を借りて頭に載せ、壁に手で触れつつ思った。ユダヤ、キリスト、イスラム教の聖地が入り組むエルサレムという小さな一つの椅子(いす)に、どうすれば反目する人々を座らせられるのかと。

  「嘆きの壁」に近いイスラム教の聖地に、当時イスラエルの野党党首だったシャロン氏が行き、大きな衝突になったのは4年半近く前だ。以来、イスラエル軍の攻撃やパレスチナ側の自爆テロが続いてきた。イスラエル側は、分離壁も築いた。

  双方の首脳が久々に会談し、停戦を宣言した。会談が開かれたエジプト?シナイ半島のシャルムエルシェイクは、かつてイスラエルが占領していた時期もあった。北方のシナイ山で、モーゼが十戒を授かったといわれる。

  「殺してはならない」や「盗んではならない」の後に「隣人の家をむさぼってはならない」とある。しかし長い歴史の中で、この中東の地域も様々な国にむさぼられてきた。

  トルコ支配下のエルサレムを訪れた明治の作家?徳富蘆花は、「嘆きの壁」を「哀傷場」と記している。「風日に黒める石の面(おもて)に、希伯来(ヒブライ)字もてさまざまに猶太(ユダヤ)人等の情懐祈願を刻す……草花のさりげなく石垣に咲けるはあはれなり」。前世紀初頭、トルストイに会う旅の途中だった(「順礼紀行」『明治文学全集』)。

  停戦が、今世紀の最初の停戦ではなく、平和に帰結する「最後の停戦」になるようにと願う。