空を飛ぶ車を想像する。行き先を言うと、自動的に連れて行ってくれる。誰もが子どものころに考えそうな夢だ。いかにも子どもらしい夢、と一言ですますこともできるかもしれない。

 小学校の卒業文集に収められた「夢」と題する作文である。読み進みながら奇妙な違和感をおぼえたのは、陰惨な事件の後だからだろうか。「夢」を書き残して卒業した母校の小学校へ行って教職員を殺傷、逮捕された少年の中で夢はどうしぼんでいったのか。

 作文では、未来と現在とが混じりあっている。空飛ぶ車、お手伝いロボット、スーパー高性能チップ——。これから「できるかもしれない」ものと、既に「あるかもしれない」ものとが同列に「夢」として描かれる。かなわぬものが「夢」なのだという感覚がうかがえない。科学の発達ですべてが便利で手軽になる、なりつつあることへの楽観も読み取れる。

 夢と現実とが地続きであると思っていたのが、あるとき深い溝があることに気づいた。事件に直接はつながらないにしても、そんな苦い経験があったのではないか。この少年に限らず若い世代が共有する「夢と現実」ではないか。

 谷川俊太郎さんに「くり返す」という詩がある。「後悔をくり返すことができる/だがくり返すことはできない/人の命をくり返すことはできない/けれどくり返さねばならない/人の命は大事だとくり返さねばならない/命はくり返せないとくり返さねばならない」

 谷川さんの呼びかけを心に、悪夢をくり返さないための手だてを考えていかねばなるまい。