子育てに悩みのない親は、まずいないだろう。古今東西、この難問に絡んだ寓話(ぐうわ)や警句は多い。

 子は「親の鏡」、あるいは「親の背を見て育つ」ともいう。イソップには、真っすぐに歩くお手本を見せようとして、横歩きしてしまう親ガニの話がある。ゴーゴリは「自分のつらが曲がっているのに、鏡を責めてなんになる」と書いた。「子どもは眠っているときが一番美しい」と、キルケゴールは記している。

 皇太子さまの会見で引用されていたスウェーデンの教科書の中の詩「子ども」は、皮肉な警句のたぐいとは全く違ったものだった。子どもとの真摯(しんし)な向き合い方を、詩的な響きに乗せて、直截(ちょくせつ)に述べている。

 「笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる/しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる……友情を知る子どもは 親切をおぼえる/安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる」。皇太子家もまた、一組の親子として、子育てに真摯に向き合いたいとの思いが込められていると推測した。

 先日、女性天皇を認めるかどうかなどを検討する「皇室典範に関する有識者会議」が発足した。議論の必要はあるのだろう。将来の国の姿にもかかわるのだから慎重に考えを巡らせてもらいたいと思う。そして同時に、あのいたいけな幼子の姿が思い浮かんでくる。結論によっては、その人の将来が左右されうるという厳しさに粛然とする。

 この議論は重いが、ひとりの人生もまた、限りなく重い。