裁判所には、長い間「再審」を求め続けていた元被告たちの姿はなかった。戦時下の最大の言論弾圧事件といわれる「横浜事件」の生き残りだったその5人は、ことごとく他界している。訴えを受け継ぐ遺族らが、東京高裁の「再審開始を支持」の決定を聞いた。

 それにしても、長い年月がかかった。〈捨てし身の裁きにひろういのち哉〉。元被告の元「中央公論」出版部員、木村亨さんが82歳で亡くなる数日前に残した句にも、その思いがこもる。

 横浜事件では、中央公論社や改造社の編集者ら多数が、「共産党の再結成に動いた」などの治安維持法違反容疑で神奈川県警特高課に検挙された。拷問が繰り返され、4人が獄死した。

 昨日、東京高裁は「元被告らは、取り調べ中、拷問を受け、やむなく虚偽の疑いのある自白をした」と認定した。「(拷問死した)小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」「この聖戦下によくもやりやがったな」などと迫った特高の拷問の記録もある。弁護団長の森川金寿さんは、20年前、木村亨さんから、戦後40年になるのに名誉回復がなされていないと聞き、愕然(がくぜん)とした(『横浜事件の再審開始を!』樹花舎)。

 つえをついて高裁に入る91歳の森川さんに、木村さんの妻まきさんが手を添えていた。木村さんたちの悲痛な訴えは、今もしっかり引き継がれているようだ。しかし、いったん失われた名誉の回復にどれだけの歳月と力を費やさなければならないのかとも思う。

 再審が決まれば、裁かれるのは、当時の司法であり、国であり、あの戦争でもある。