万里の長城の東の起点?山海関は、北京の東約300キロの渤海沿いにある。地勢の険しい古来の兵争の地で、「天下一の関所」とも言われた。

 第二次大戦後50年にあたる95年の終戦の日の直前、江沢民主席は、山海関近くの滞在地?北戴河で、本社と会見した。青年を対象に進めている愛国主義教育については、こう述べた。「歴史を正しく認識し、忘れないように教育することにあり、両国に不和をもたらす意図は全くない」

 それから10年後の今、中国から声高に届く、愛国主義の行動に罪はないという「愛国無罪」には、両国の不和にまでつながりかねない危うさを感じる。そしてもう一つ、デモ隊が日本を見下して言う「小日本」については、山海関から海を望んだ時の思いがよみがえってきた。

 山海関は、西から延々と続いてきた万里の長城が、ついに海に入る地点だ。その海のはるかかなたには、見えはしないが日本列島がある。ユーラシアという世界最大の幅を持って横たわる陸地から望むと、地理地形の上からは、列島は大海に浮かぶ細いひもか縄のようにも思われる。

 中国の長い歴史と文化を誇る人たちが、日本に対して、ある種の優越感を覚えたことは、想像に難くない。その日本に侵略され支配されたという屈辱と、負わされた傷とは、半世紀ぐらいで癒えたり消えたりするものではないとも思われた。

 街頭での「小日本」の裏には、屈折した大国意識と群集心理が感じられる。群衆から、例えばひとりの青年に戻った時にも、声高に「小日本」と言うのだろうか。