朝日新聞阪神支局に入る。この支局に来るたび、2階の編集室に向かう階段の途中で立ち止まる。87年の5月3日の夜8時過ぎ、この階段を、銃を持った男が上って行った。そのおぞましい気配を、今も感じる。

 細長い編集室の奥の壁に、射殺された小尻知博記者の写真を掲げた小さな祭壇がある。事件には法的な時効があっても、無念の思いに時効は無い。改めて冥福を祈り、凶行への憤りを新たにする。

 合掌しつつ、この社会がおびただしい犠牲を払って、ようやく戦後手にした言論の自由のことを思う。この原則は、社会や国家が暴走しないための大切な歯止めの一つだ。それを、暴力の前に揺るがせてはならない。

 本社から支局や総局に行く時、「厳粛な里帰り」という言葉を思い浮かべる。外で取材してきた若い記者が先輩やデスクと話す姿は、昔と変わらない。懐かしさと厳しさを感じるそのやりとりから、記事が生まれる。支局とは、新聞社が、読者や市民や町と出会う最前線であり、まだ真っ白な明日の紙面を一からつくる現場だ。あの夜、そうした支局員らの語らいを銃弾が襲った。支局に保存されている小尻記者が座っていたソファには、損傷があまり見られない。散弾が体内で炸裂(さくれつ)したからだ。

 支局の入り口に、1本の桜がある。大木ではないが、長くこの地に根を張り、記者らの往来を見続けてきた。局舎の建て替えは決まっているが、支局では桜は残したいという。

 東京へ戻る新幹線は、連休さなかで満席だった。バッグから憲法に関して気になる本を取り出した。