毎年ちょうど今ごろから、各地の税務署に同じ要望が届く。「高額納税者リストに出さないで」。長者番付のことだ。載るのは全国でも7、8万人という。

 番付に無縁の人々でさえ個人情報の使われ方には不安を覚える。載れば、怪しげな郵便が殺到するし、空き巣や強盗も怖い。切実な悩みなのだろう。

 長者番付はいつ生まれたのか。印刷史に詳しい石川英輔さんは「江戸の後期にはもう量産されていた」と言う。長者鑑(かがみ)とか長者控とも呼ばれ、庶民に人気だったという。そう言えば「長者番付」という古典落語がある。田舎の造り酒屋に張られた番付を前に、江戸者が「西の鴻池」「東の三井」とまくし立てる。

 鴻池や三井などの財閥が占領下で次々に解体されたころ、いまの長者番付の原型ができあがった。他人の所得隠しを通報すると報奨金がもらえる制度とともに、番付は、「密告税制」を支える柱とされた。報奨金はやがて廃止されたが、番付は残った。

 この春に出版された『日本のお金持ち研究』(日本経済新聞社)は、長者番付から年収1億円以上の層を拾い出し、行動や意識を調べた労作だ。著者の京都大学経済学部教授、橘木俊(たちばなきとし)詔(あき)さんが2年前、全国6千人に質問状を発送すると、「詮索(せんさく)するな」「にせの学術調査か」と苦情が来た。

 それでも465人から回答が得られた。「協力してくれたら詳しい集計結果を送る」と約束したのが効いたと橘木さんは話す。「ひと様の懐具合は誰でも気になりますから」。番付が生き永らえたのも似たような心理のなせる業だろう。