JR西日本の凄惨(せいさん)な脱線衝突事故から10日あまりたった。深い傷を負い、今も入院している乗客も多い。体の傷だけではなく、心が負った傷の影響も心配だ。

 いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のTはtraumatic(トラウマ的)の頭文字だ。近年よく指摘される「惨事トラウマ」が注目されるきっかけになったのは、19世紀の後半から急増した鉄道事故だった(森茂起『トラウマの発見』講談社)。

 鉄道は、近代の機械化、高速化の象徴だ。「それはまさに飛翔(ひしょう)である。そしてつまらぬ事故で、同乗者全員が即死するという思いを振り切ることができない」。鉄道草創期の、英政治家の言葉だという(シベルブシュ『鉄道旅行の歴史』法政大学出版局)。まだ無かった飛行機に乗るかのようなたとえだ。

 「二都物語」で知られるチャールズ?ディケンズは1865年6月に列車の事故を体験した。数日後、手紙をしたためる。事故当時の自分の行動を書いていたが、突然、こう記して手紙を終えた。「いまこの思い出の数語を書き記していると、ふと威圧されるのを感じ、わたしは筆を折らざるをえなくなりました」

 この事故では、ディケンズは傷を負っておらず、他の乗客たちを助けたという。けがをしなくても、後に、こうした「威圧される感じ」に襲われるという例なのだろう。

 尼崎で事故に遭った人たち、その家族や友人、電車に激突されたマンションの住民、そして救助に駆けつけて惨状を見た人たち。様々なトラウマに対し、手厚い心のケアを望みたい。