ブッシュ米大統領が「反省」を表明したという。バルト3国の一つのラトビアを訪問中の発言だ。

 45年2月の、米英ソ首脳によるヤルタ会談を「強国が交渉し、小国の自由を犠牲にした」と否定的に述べた。第二次大戦の末期で、戦後の国際秩序が話し合われた。

 「強国の交渉」と「小国の自由」からは、ヤルタ会談の4カ月前のチャーチル英首相のモスクワ訪問を思い起こす。「機は熟していた」と、チャーチルは『第二次世界大戦』(河出書房新社)に記している。スターリンに「バルカンの問題を解決しようではないか」と告げ、紙に数字を書いて渡す。「ルーマニア ロシア90% 他国10%/……ユーゴスラビア 50-50%/……ブルガリア ロシア75% 他国25%」。スターリンは青鉛筆で紙に大きな印をつけ、同意を示した。

 数字は、強国が小国で保つべき発言力 や優位性の度合いだったという。長い沈黙の後に、チャーチルが口を開いた。「何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理してしまったようにみえると、かなり冷笑的に思われはしないだろうか? この紙は焼いてしまいましょう」。「いや、取っておきなさい」とスターリンは言った。

 ブッシュ氏は、ヤルタ協定が東欧をソ連の支配下に置く結果をもたらしたことに言及し、米国の歴史的責任に触れた。それは、バルト3国や東欧からソ連支配への反発を受けているプーチン政権に対する牽制(けんせい)でもあった。

 60年後の「反省」を、泉下のルーズベルトやチャーチルはどう聞いたのだろうか。