ちょうど10年前の「今日」を思い出す。記憶の断片とも言えないような、一瞬の残像が脳裏に焼きついている。それは黄色いカナリアである。

 迷彩服に防毒マスクをつけた捜査員が、列をなす。その先頭にカナリアはいた。重装備の人間とは対照的に、鳥かごの中で無防備な姿をさらしながら。

 その2カ月ほど前、東京都心の地下鉄にサリンがまかれた。強制捜査でも万全の備えが欠かせない。ならば、炭鉱の有毒ガスを感知するカナリアが役に立つはず。そんな理由で連れて行かれた。ふだんの暮らしでは目にしない。不気味な光景だった。

 あのカナリアは、どうしただろう。探してみると、すでに寿命が尽き、手厚く葬られていた。場所は東京都目黒区の警視庁第三機動隊の前庭。樹齢40年を超すソメイヨシノの木陰だ。近くには、現場から持ち帰った岩でつくった記念碑もある。そこに、出動した証しとして、360人の隊員の名とともに「カナリア2羽」と刻まれている。

 あの年の夏、2羽のカナリアには、1羽のひなが生まれた。その子が駆り出される事件などない平和な社会になってほしい。そんな願いを込めて「ピース」と名づけられ、隊員たちにかわいがられたという。

 1995年5月16日朝、オウム真理教代表の麻原彰晃容疑者が殺人容疑で逮捕された。時は過ぎ、流れた。教団は名称を変えた。現場の山梨県上九一色村は来春、甲府市と富士河口湖町に分かれて合併し、村の名前も消えていく。だが、事件は人それぞれの心に残り続ける。たとえば、カナリアの記憶として。