「天気がよかろうと、悪かろうと、ドナウ河の流れは同じ。ただ定めなき人間のみが、地上をさまよい歩くのです」。19世紀のルーマニアの国民詩人といわれるエミネスクの詩の一節だ(『世界名詩集大成』平凡社)。


 ドナウはドイツの黒森に源を発する。オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどを貫いて黒海へと注ぐ2900キロ近い大河の変わらない姿が歌われている。そのドナウでは、今世紀末には流量が2割以上減るのではないか。日本の気象学者らが世界の大河の流量の予測をまとめた。地球の温暖化による降水量の変動などを計算した。


 古来、大河のほとりには文明が息づいてきた。その一つ、メソポタミアのユーフラテス川は、ドナウよりも変化が激しく、約4割減という。一方、ナイル、ガンジス、黄河などは、逆に10~15%の流量増を予測している。


 限られた地球の水を争う「水戦争」の問題を指摘する声も時折聞く。ドナウのような国際河川を持たない日本では、他人事(ひとごと)のように感じるかも知れない。しかし日本が輸入している膨大な食料や工業製品などを商品化するまでに使われた水の多さを思えば、世界の水問題と深くつながっていると分かる。


 エミネスクの詩は続く。「けれど、私たちはいつも変わらず、昔のままの姿でいます——海も川も、町も荒野も、月も太陽も、森も泉も」


 悠久の大地や大河は、変わるはずがない。そう思えた時代は残念ながら去った。「自然を、むやみには変わらせない」と国境を超えて誓い合う時代が来ている。