精肉店で国産牛の売り場が日に日に狭くなっている。高くて品数も乏しい。代わりに豚肉が領土を広げる。しゃぶしゃぶでもカレーでも最近は豚肉を使う人が多い。

 牛海綿状脳症(BSE)の発生で、米産牛の輸入が止まって1年半になる。国産牛の値段は上がり続け、農水省の週ごとの調査で今月初め、最高値になった。冷蔵ロース100グラムの小売値が全国平均で704円だった。食用牛の歴史に残る高値かもしれない。

 日本の牛肉史をさかのぼれば、白鳳から幕末まで千年を超す空白期がある。「牛馬犬猿鶏を食うなかれ」。天武天皇が勅命を出して以降、肉食は次第に禁忌とされていく。

 日本を訪れた外国人は、肉のない食事に困り果てた。鯖田豊之氏の『肉食の思想』(中公新書)によると、宣教師ザビエルは「日本では家畜を食べないから口腹が満足しない」と嘆いた。幕末の米総領事ハリスの日記にも、牛肉を食べられない切なさが随所に出てくる。

 肉食の禁制が解かれたのは明治に入ってからだ。維新政府が盛んに勧めたが、庶民はなかなか踏み切れない。かしわ手を打ち、経文を唱えて牛肉にハシをつけた人々もいた。牛鍋の流行をへて、牛肉は食文化に地歩を築いていく。

 米国でBSEの疑いのある2頭目の牛が見つかった。大統領や国務長官が口をそろえて「米産牛はもう安全」などと輸入再開を迫ったはずなのに。米国の強引さにはへきえきする。牛丼屋に牛丼がなく牛タン店に牛タンがないのは寂しいが、やはり安全本位で行きたい。牛の歩みと言われようと。