フランスの文化相にもなった作家アンドレ?マルローは、22歳の時に盗掘のかどで有罪判決を受けた。カンボジアで、アンコールワットの近郊の寺院から女神の像を盗み出そうとした。わずかに首をかしげてたたずむ、たおやかな像だったという。

 アンコールワットの巨大な石造りの遺跡を欧州に紹介したのは、19世紀の仏の探検家アンリ?ムオだった。「かくも美しい建築芸術が森の奥深く、しかもこの世の片隅に、人知れず、訪ねるものといっては野獣しかなく、聞こえるものといっては虎の咆哮か象の嗄れた叫び声、鹿の啼声しかないような辺りに存在しようとは」(『インドシナ王国遍歴記』中公文庫)。

 「地雷を踏んだらサヨウナラ」の言葉を残した報道写真家?一ノ瀬泰造が、危険を冒してアンコールワットに向かったのは73年だった。母信子さんが編んだ『もう みんな家に帰ろー!』(窓社)に、遺跡に近いシエムレアプでの「最後の一枚」が載っている。

 風に揺らぐ木々の彼方(かなた)に遺跡の塔の先が見える。「望遠レンズで眺めては“俺の血”が騒ぎます」。知人に書き送って間もなく行方不明となった。

 シエムレアプの国際学校が、銃を持った男たちに一時占拠された。日本人の園児らは無事だったが、いたましいことに、カナダ人の幼児が殺された。警察は、金目当ての犯行とみているようだ。「観光バブル」で潤う層と貧困層との差が広がっているという。

 遺跡は、時を超えて人を引きつけてきた。「訪ねるもの」が膨らんで、人心の方が荒(すさ)んでしまったのだろうか。