郵送されてきた利用明細書に「100万リラ」とあった。前の月に、ローマのホテルで1泊した分として印字されている。通貨がユーロになるかなり前で、リラは円の1割弱だったが、それでも8~9万円にはなる。そんなホテルには泊まっていないから、すぐおかしいと分かった。

 クレジットカードの会社に連絡した。間もなく「間違いでした」という電話があり、当然ながら銀行口座からの引き落としはなかった。カードのデータ処理の「誤り」なのか、ホテルかどこかの「過ち」なのかは分からなかった。

 カードは便利だが、誰かがなりすまして使うこともできる。対面しないインターネット上の売買は、カードそのものではなく、会員番号や有効期限のやりとりでも成りたつ。

 不正アクセスによるカード情報の大規模な流出がアメリカで起きた。ネット社会のもろさを象徴するようなできごとで、被害は国境を超えて日本にも及んでいる。米の情報処理会社が、社内に蓄積すべきでなかったカード情報を「調査目的」で記録に残したという。不正アクセスは、昨年だったとの報もある。流出から発覚するまでが、なんともまだるっこしい。

 芥川龍之介が「河童」に書いている。「最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑(けいべつ)しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである」

 人間の社会の方では、カードの利用という一時代の習慣を、軽蔑しきるのも、抜け出すのも難しい。明細書を点検したり、不用なカードを減らしたりするのが、そこそこに賢い生活のようだ。