両の手のひらを合わせる。拝む、祈る、誓う、感謝する。この古来のしぐさには、さまざまな意味が込められている。

 小泉首相が、硫黄島で戦没者の碑に手を合わせた。追悼式は、2万8千人にのぼる日米両軍の戦死者の霊を慰めるものだった。敵味方を超えた慰霊だが、現職首相の硫黄島訪問は戦後初めてだった。首相は、23日には、沖縄戦の終結60年を迎える沖縄での追悼式に出席する。摩文仁の丘の「平和の礎(いしじ)」には、国籍や軍民を問わずに犠牲者の名が刻まれている。

 戦後、日本での戦没者の追悼は、自国の軍人や市民に向いた。未曽有の戦禍への追悼が、まず身内へ向かうのは致し方のないことだったかも知れない。しかし戦後60年になっても追悼の幅はなかなか広がらない。日本が侵略し惨害を与えた人たち全体に対しても手を合わせることが大切だ。

 〈切実な願いが吾れに一つあり争いのなき国と国なれ〉。小泉首相は、ソウルでの首脳会談後の会見で、韓国の女性歌人?孫戸妍(ソンホヨン)さんの一首を引いた。

 孫さんは戦前に東京で生まれ、戦後再び来日して和歌を学んだ。戦後の最初の歌集の名は韓国の国花の「無窮花」だった。巻頭近くに「悲願」と題した歌がある。〈東亜細亜の涯(きはみ)の国に生ひたちし吾ひたすらに平和を祈る〉。

 孫さんの歌を引いたということは「切実な一つの願い」の実現に力を尽くすということなのだろう。ぜひそうあってほしい。そのためには、日本によって被害を受けた側の声に耳を澄ますことだ。そして、互いに手をたずさえて歩んでいきたい。