60年前の6月23日は、沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされる。その15年後の同じ日には、新しい日米安保条約が発効した。6月23日は、沖縄戦で失われた二十数万の人々を慰霊する日だが、安保の名の下で、沖縄に多くの米軍基地を置き続けることが事実上決められた日でもある。

 戦後、日本が独立したのは、51年のサンフランシスコ講和条約の調印によってだった。沖縄はこの条約に基づいて米国の施政下に置かれた。旧安保条約の調印もなされた。

 それから半世紀以上が過ぎた。冷戦が終わってからも久しいのに、沖縄の米軍基地は、いまだに圧倒的な規模で存在している。昨年、米軍のヘリコプターが大学に墜落したが、日本の警察は現場検証が何日もできなかった。これでは、日本は果たして本当に独立しているのかという思いすら浮かぶ。

 沖縄に行けば、海外の戦場と直結していることを実感する。ベトナム戦争のころは、飛び立った爆撃機がベトナムの人々を襲った。

 北ベトナムへの空爆が始まったのは65年だった。翌年来日した哲学者ジャン?ポール?サルトルが講演会で述べた。「知識人は、この戦争は、世界一豊かな国であるアメリカが、貧しい国に対して行っている侵略なのだということを、暴露して行かなくてはならない」

 戦後の実存主義の代表格で、ノーベル文学賞を拒絶した。9?11からイラク戦争に至った世界を見たなら、「嘔吐」「壁」「出口なし」の作家は、どう語ることだろうか。80年に没したが、今月が生誕から100年にあたる。