どんよりとした空から、細かい雨が降ってくる。時折、風がゆるやかに渡って笹(ささ)の葉をゆらす。願い事が書かれた青や黄色の短冊がひるがえる。

 通り道に、七夕の竹飾りが並んでいた。一本の竹に数十の願いが下げられている。「大金持ち!」「悪徳商法撲滅」「権力がほしいので下さい」。こんな願いもあるが、多くはやはり、家族や友の健康と安全を祈っている。

 50年前、作家の壷井栄が「主婦の友」に随想「七夕さま」を寄せた。「ささやかな笹にちらほらの短冊は、つつましい中にも、なにかしら人のこころの温さ、かわいらしさを感じさせられて好もしい」

 今とそう変わらない七夕の情感だが、この先が、戦後10年という時代を思わせる。「子供と一しよに短冊をかくようになつてから、七夕さまにつながる思いとして、いつも私の心をとらえるのは盧溝橋事件である。昭和十二年七月七日。そしてそれをきつかけにして、敗戦にまで追いやられた私たち……」

 37年の七夕の夜、北京近郊の盧溝橋付近で起きた日中軍の衝突は、日中戦争の発端となった。現地の日本兵の間では、「七夕の日は何かがおこる」という噂(うわさ)が飛んでいたという(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会)。

 壷井は続ける。「七夕さまは、たとえ年に一度の逢瀬(おうせ)にもしろ、逢(あ)えるということで私たちに希望を与える。しかし、私たちのまわりには、永久に逢えない人がたくさんいる。私の友は七夕の短冊に『平和』とかいて笹にむすんだ」。戦後60年の竹飾りにも、その二文字は幾つも揺れていた。