あれから二〇年、本当に、いろいろなことがありました-。520人が死亡した日航ジャンボ機の墜落事故から、今日で20年になる。それを機に出版された遺族の文集『茜雲(あかねぐも) 総集編』(本の泉社)で、美谷島邦子さんは、9歳だった息子の健君に語りかけるように文をつづっている。

 「今も、君のノートや鉛筆がここにあります。夏休みのヘチマの観察日記は、『八月一一日つるがのび、小さいつぼみがみえた』という事故の前日に書いた文字で終わっています。お父さんは、この文字をいまだに見たがりません」

 弟夫婦とめいを亡くした池田富士子さんは、文に短歌を添えた。〈あまりにも 早きに逝きし弟の 歳をおりてはまた胸あつくす〉。弟夫婦の遺児ふたりは大勢の人に支えられて成長し、今は結婚してそれぞれ幸せに暮らしていますとあり、末尾には生存者のひとり川上慶子さんの伯母と記されている。

 事故の翌日、生存者発見の報が本社に届いた時のことは、今もなお記憶に新しい。あわただしく夕刊の記事を書いていた記者たちの間にも、言葉にならない感動が走った。

 絶望的な色合いの濃かった紙面を取り換える。直後に社会部から原稿を受け取った入力担当部員も、涙をこらえながらキーボードを打ったという。

 二度と繰り返してはならない巨大事故だった。遺族の会「8?12連絡会」の事務局長を務めてきた美谷島さんは、文をこうしめくくっている。「二九年間、健ありがとう。……これからも君と一緒に空の安全の鐘を鳴らし続けていきたいと願っています」